「仕事は控えめ、人生はゆっくりと。ならば、賢者は長生きをする」
「働き過ぎは貧欲の母であり、退屈の身代わりに過ぎない」とも。
これは、バルタザール・クラシアン『賢者の教え』(経済界)に書いてあると言います。果たして、これは日本人に受け入られるでしょうか。
確かに、昨今特に、働きすぎと、世界から避難されもしています。しかし、およそ、日本は資源のない小さな島国で人口密度過密の国です。ウサギ小屋と非難されながらも、未だに物価ばかり高い国では、狭い家に住まわざるを得ません。
そんな国民に「働き過ぎ」は今時ならともかく「退屈の身代わり」などという言葉を言おうものなら、不届き物の汚名だけでは免れません。
ただ誰もが所有出来る「時間」だけは、容赦なく確実な刻みで過ぎていくのです。それを思うと、人生の結論を出すときになって、どのように自分の人生を評価できるのかを思えば、自分で自分を満点でなくても、「できるだけのことはやった」と自負できる又は、自負するしかないのが関の山でしょう。
人はどれほどやってきても、最後には後悔ばかりが残るものですから。
そもそも、私たちの今あるしあわせは、誰かの犠牲の上に成り立っていることを、人は考えることを忘れます。
そして、人の生き方は千差万別です。
どんな生き方がいいかというより、自分に納得する人生を送ることでしか、正しい答えはないでしょう。
ともかく、人は、社会へ出て、家族を持ち(持たなくても)生きて行かねばなりません。
そんな中で、「自分で納得する人生」と言うものを送れるでしょうか。
周りのしがらみに縛られる毎日のなかで。
どれほどの人が、「我が人生に悔いなし」と思える日を迎えられるでしょうか。
人のほとんどは、今や、病院で最期を迎えるのです。
昔から、日本人は、「畳の上で死にたい」を唱えてきました。
病院に畳は有りません。ベットだけです。
ベットの上で、呼吸器をつけて・・・
「痛い!痛い❢」と言って・・・
時間は有限である事を知っているようで知りません。試験勉強の前の一夜漬けの様なものです。時間がないことを、本当に知った時は、既に、手遅れです。
これが人です。しょうがないと諦めますか・・・
世界平和を願うのにも似ていませんか。
何度も何度も同じ事を繰り返し、同じ夢を見ています。
唯、これだけは言えます。
人の意見にとらわれず、自分を信じて生きていくことです。
人の意見はよく聞く事。しかし、あらゆる問題も、解決するのは自分である事.
自分を信じ自分で解決する。
周りからどの様な誹謗中傷が有っても、へこたれないように・・・
これが、「頑張りましょう」という意味の最高級でしょう。
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