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後継ぎがいないということ

高齢化社会とか、未婚者の増加とか、、世の中、後継ぎがいない、若者がいないという事は、あまりにも、不作為な社会です。
人は、生まれ、育ち、学び、働き、結婚して、子供を産み、育てる、次世代に引き継ぐサイクルを繰り返しています。生物すべてそうです。
ただ人間だけが、そのサイクルを崩しています。本来、「家」とか「家系」とかは、何処の国でも永遠に守り続けねばならないものとして考えられてきました。
そこでは、多くが、よき次世代として引き継ぐための厳しい条件が付けられてきましたし、それを引き継ぐ人自身も大きな責任がありました。
だから、その責任を担うべく財産もその人が引き継ぎ守らねばなりません。
それが、核家族化などにもより余計に、又、経済的社会的な余裕も増え、個人の尊厳がより重要視されるに従い、かつてのような「家」という概念は失われていきます。
本来、その「家」を引き継ぐものは、財産を育めなくとも、少なくとも、減らしてはいけないのです。
それが昨今は,お墓すら、持たない思想が流行っています。
そこにはかつてのような「家」という意識はないのです。


明治憲法下においても、「家」を守るためには、その継続者に、財産をすべて継がせることに意義を申し出ること自体がタブー視されていましたが、新憲法下においては、相続人すべてにおける権利を同等に至らしめることに代わりました。
これは、平等の権利をすべてにあがなうゆえの当然なる法体系のように思えます。
が、それにより「家」を守るという思想はなくなっていきます。
あるのは、資産家や著名人の中だけに温存されているようなものです。
そのような社会おいて、個人の権利だけが独り歩きをしていきます。本来あるべきが当然とされるものまでも崩していくことに、時代の流れというような違和感だけで済ませる事は出来ないでしょう。
「後継ぎ」を持つという思考は、「結婚する」ということに続く最も大切な人生の基盤指針です。


ちなみに、中国では、後継ぎを作らない事は最大の親不孝と言う考えがある、と言います。

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