古くは外国の名前は、次の様な漢字を使っていました。
アメリカ・・・・亜米利加
ドイツ・・・・・独逸
フランス・・・・仏蘭西
オランダ・・・・阿蘭陀
イギリス・・・・英吉利。英国
スペイン・・・・西班牙
イタリア・・・・伊太利亜
ロシア・・・・・露西亜
今外国名をこのような漢字で書くことはほとんどなく、カタカナ書きです。
ただ「日米」とか「日露」と言う時は、漢字を使いますし、両者名を連ねる時には、「日本アメリカ」「日本ロシア」と言うよりも、短縮した分かりやすい言いかたです。
最も、「日蘭」「日越」と言っても、聞きなれないので、何処?と思う時もあるかもしれません。
日本語は漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字と4種類ありますが、中国語は、漢字だけです。外国語もすべて漢字で表しています。(当然ながら)
ひらがな・カタカナは、漢字を書き表すのに簡略化された文字で、平安時代ごろから使われ、「万葉がな」と言われます。
コーヒー=咖啡
イギリス=英国
アメリカ=米国
日本では、外国語でも、カタカナ表現して言いますが、漢字化はほとんどしません。
勿論外国語は、日本語化してもニュアンスが異なる事も有るでしょうが。
時として、外国語をそのまま使うのが多いものですが、分かりにくいですね。
日本語化していれば、その文字から推測できやすいはずです。
なのに、カタカナばかり目立ちます。
国民にやさしい社会を目指しているはずなのに、何故わかりにくい言葉を使うのか。何故分かりやすく話さないのか?・・・です。
歌でもよく英語を入れて歌うのがはやりますが、何故日本語をもっと使わないのか?
それとも、外国に比べると日本は英語が話せる人が少ないからその爲にもでしょうか。
逆に、もし世界で、日本語が英語のような存在だったらどうでしょうか。
その時は、きっとどの国の人も、ひらがな・カタカナは出来るが・・・ぐらいでしょうか。
今までお話している事は、つまり、「公用語」と言う事にも繋がってきます。
「公用語」の定義は、完成したものではないようですが、「公用語とは、一国にいくつかの民族がある時は、標準的な言葉になる言語」「政府が公式に使う言葉」などとあります。
日本の場合、単一民族(実際は、アイヌ民族・琉球人の方がみえるので、単一民族と言えない)なのであり、公用語は、日本語であると答えるであろうことは推測されます。
しかし、日本語が公用語であるとは、何処にも書いてありません。(法律上)
とは言え、裁判所法第74条には、「裁判所では日本語を用いる」とあります。これだけが、法律で決まっていると言われます。
諸外国でも、公用語としての規定が法律化している国も有れば、ない国もあるようです。
そして、今時は、多くの国で、母国語と英語を話す人・国が多い様に感じます。
又、ビジネス上英語が世界的公用語として使われる事が多いので、どうしても、英語が必要とされ、学校でも必須科目になっています。
が、日本人が英語を話せないのは、「英語の勉強の仕方が、文法ばかり先に学ぶ学習の仕方がそもそも話せない教育になっている」と言われます。
会話に重点をかけていない・日本語と英語の発音の基本的な違いがある等の指摘があります。
又、英米国のような英語が公用語である国以外の国で、英語が話せる国の多くには、英国の支配下にあった所は、元々英語も公用語と言う事も有ります。
してみると、東南アジアやアフリカの国々の多くがそうです。
かつて、日本も、英語を公用語化しよという事が言われましたが、その必要性については反対論も出ています。
つまり、母国語以外の言語、とりわけ英語を公用語とすると、メリットよりもデメリットが多いと言われます。
ビジネスでは、英語が出来る事は、仕事の幅が広がり、出来る事はベストです。
しかし、中南米でも、英語を話す人は、若い人が多く、高年齢者を中心に、話せない人も多いのです。
中南米は、その多くがスペイン語圏です。ブラジルが、中南米にしては珍しくポルトガル語(正式には、ブラジル語)です。※1
ですから、英語より、スペイン語が話せるほうがいいわけです。かつてのスペイン領の国も多かったからですが。
今では、小学校から英語教育が必須化していますが(私立幼稚園では、以前から英会話をやっている)、グローバル化や外国人労働者の必要性からも、英語は確実に必要とされています。
今若年労働者の必要性から、多くの外国人が入ってきますが、英語が出来るばかりとは限らないし、ましてや、日本語が出来ない人も多く、言葉が問題になります。
日本では、書類や各地の標識・案内など、多くの場所で、英語・中国語・ポルトガル語・韓国語・タガログ語なども一緒に添えてもいます。
このように、英語だけでは済まない点です。
英語だけでも公用語にするとすべて二つ必要になってしまうのです。それは、煩雑で負担が増えるばかりで、その作業量は膨大かつ容易なことではなく、想像できないでしょう。
又、採用すれば、日本語自体の悪化にもつながる、ひいては、文化自体も…と言われます。
すると、それは本当に必要なのかという事も出て来ます。
「ここは日本であり、日本で住むなら、日本語を使うのが正道である」という意見になります。確かに、そうでもあります。(郷に入っては、郷に従えです。)
ただ、グローバル化の中にあって、「そんなこと言っていると、外国人は来なくなる。」とも言います。
すると、ビジネス上は英語は必要であるとしても、生活に困るわけではないと言う意見があるように、公用語にする必要性がむしろないと言うのが正しいのでしょう。
だから、必要としている人が学べばいいのであり、英語が時代的要請でも、出来なければならない理由などはないと言うことでもあるのしょうか。
外国語と雖も、英語でなくてもいいわけですし、中国語やベトナム語など、一番多く日本に来ている人を対象とする語学の学習を必要とする人が学習するだけでいい・・・のでは、という事も言えましょう。
事実、政府も、諸外国語に通じた専門家の登録を要請しています(例:中国語の出来る法律にたけた弁護士)
話を戻します。
「やさしい日本語」「正しい日本語」の要請が、多く言われる中にあって、なおさら、日本語を正しく、たくさん使って、日本文化を正しく継承する方策の方は大切です。
※1フラジルが、ポルトガル語なのは、スペインとポルトガルが、大航海時代の植民地の争奪戦の最中、植民地分けの決め方(トルデシリャス条約=世界を二分する契約=東側をポルトガル、西側をスペインと決め、その時、ブラジルが西側にあったことで、西経46度37分の経線で領有分界線と決めた条約からだそうです。)
※ちなみに、今のウクライナは、「鳥克蘭」または「宇克蘭」。日本とウクライナを合わせた時は、「日宇」と書くようですが、全く読めませんね。余分なことながら、「日宇(ひう)」と読書きすると、長崎に日宇村があるそうで、google検索するとそちらが出て来ます。
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