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「ありのままに生きる」

人間ありのままに生きるのが一番精神的にいいのでしょう。(?)


私たちは、鬱になったり、病気になったり、人間悪い時には、悪いことが重なったりすると、益々、地獄に向かって行くような時があるものです。
それに、そこから脱出する方法が簡単には見つからないものです。
しかし、本当は、そんなものを見つけけだそうとするよりも、成るようになることをそのまま受け入れるほうが、自然であって、むしろあくせくしないほうが、楽でもあるのではないのか?・・・です。
さすれば、何もしないでいいのかではなく、全てをそのまま受け入れることしかないのではないかという理屈になりますが、それは,正しいでしょうか?
たぶん、正しくないでしょう・・です。
それは結果において、いい方になったからそう言えるのであって、死んでしまったり、一層悪化した時は、そんな流暢なことを言っておれません。



では、「ありのままで生きる」とはどういうことなのか?

病気に打ち勝とうとか、生きようなどど頑張らないことだと言う事か・・・・とすると、話がおかしなことになります。
多分、それは、現状に嘆き悲しむだけでいるのではなく、まづ、現状をしっかり認識し受け入れることで、心の安定を図る。次に、どうなっても、それを(その結果になるであろう先の事を)受け入れる覚悟をもつことに他ならないのではないのか。
しかし、この理屈では、やはり「成るようにしかならない」と言っているだけに過ぎない。これはおかしい。
嫌そうではなく、無理矢理に、何でもかんでも、「頑張ろう」とするのではなく、「頑張らなくていい」と言う事。
出来ることをするにとどめる。また、やりたい事に目を向ける。
さすれば、気持ちは、そちらに向き安定しやすい。又は、落ち着ける。・・・から?という理屈ですかね。


鬱にならない為・鬱から脱出する為にも

今言った一つの方法です。
<何かに没頭する>ことです。
特に、運動はやっていると、汗をかき、体が披露しても来ます。そのことで、思考が一杯になってきます。しかも楽しくもなってくると、余計に、鬱などになっていない自分に,きずくことでしょう。
勿論、悩み事が大きすぎる時は、運動後が、また元に戻ったり、運動すらやる気にならない事も有るでしょうが・・・少なくとも一度は試す価値があります。


亦、大いに敢えて、「人と話す」ことです。

一杯一杯誰かと話す時間がいつでも持てれば、心が晴れてきます。自分の殻に閉じこもるのではなく、気分を他人に発散することで、心がハツラツとしてきます。
これは日常生活の中では、運動や趣味以上に大切で、又その効果はすぐに出て来ます。


但し、繰り返しますが、にっちもさっちもいかないような状態である時の人には、どのような言葉もすべて無であることが大半であることは否めません。しいて言えば、一緒に泣くことが、せめての慰めかもしれません。

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行政書士 井原法務事務所
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