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学制発布の日ー明治5年8月2日

❒学制発布

明治5年8月2日に太政官より「学制」が発布されました。
わが国初の近代的学校制度を作るべく発布。フランスを模範として「大学・中学・小学」の3段階が、国民教育として開かれ、日本全国区を8学区に分け、その下に、中学区、小学区を置き、各学区ごとに大学校・中学校・小学校を一校づつ作ることになりました。

初等教育(今でいう小学校教育)は、国民すべてが就学する義務教育となり、6歳以上の男女全てが対象となりました。

これに際して8月2日が「学制発布の日」とされています。


 当時は、外国の大学に見られるように、入学試験よりも、学校へ入ってからの勉強が厳しくて落ちることもあり、誰でもが卒業できるところてん式の今の日本の大学生制度とは全く違います。

今の日本では、大学数も多く、三流と言われる大学も、真に勉強がしたくて入学してくるのではなく、学歴社会の日本が背景にあるがために、良い会社に入るために、大卒という学生数は、多くなりました。

また、企業側も、採用基準には、大卒を要因の一つとします。学校での成績も重視しますが、多くの企業では、成績表を出せと言うところはほとんどないようです。

入学試験ばかり厳しく入ったら勉強もせず、麻雀に明け暮れたというような話を社会に出てから自慢するような人が多い国というのも珍しいと耳にします。

それ程に、日本の大学の大卒というのは、外国の大卒とはレベルが違うとよく言われるのです。特に文系はそうだと言われます。

逆に、勿論真に勉強している人は、学者や政治家、又、一流社会人になるべく、専門の道を究めようとしている人々のその知識量や情熱には敬服します。


また、話はそれますが、過去に目をやれば、文系・理系の社会的な要請を見た場合、太平洋戦争で先に学徒動員で選ばれたのは文系ですから、理系に比べると国家に必要とされる人材はメインが理系という結果になったわけで、平穏社会が続く中でしか、文系は花咲かない学問になるといった感があります。


先年NHKも朝ドラでやっていた「らんまん」という植物学者牧野富太郎の生涯をやっていましたが、実に面白かったものです。
彼も小学校しか出て居なく、東大では、学歴がとても問題になりました。いくら素晴らしい研究をしていても、学歴のない人が研究できる道は閉ざされやすかったのは今でも同じです。
小学校しか出ていなくても、その実力のある人や、研究をしたいだけに物事を学ぼうとする人のためには、大学をはじめ学校という存在は誰にでも門戸を開いてしかるべきなのです。
それがなく、難しい入学試験や学歴がないばかりに就職の道を閉ざされたり、研究費に国の予算が少ない国では、秀才や天才が生まれにくいのも当然の理です。
彼が植物学者に成れたというのも、明治という近代社会に邁進しよとしている初期段階であったことが世に出てこれた理由のひとつでもあるのでしょう。


❒高校も義務教育化が必要

いまの世の中によくある「ひきこもり」者というのは、学校も行かずとか学校中退者が多く、社会になじめない性格が第一の要因でしょうが、まずもって、中学から高校への段階でも、ひとつの人生選択に障害にもなっています。

行きたい高校に入れず、入学試験を受けるにも人数が各学校に割り当てられていると聞きます。其れでは、受けたい学校に当然試験すら受けられず他の学校を受けるしかありません。入れたかもしれない学校にも入れず、しょうがなく、受かったところに通うか、希望の学校でないから行かないというのもあります。

すると、その時点で、人生初の社会不適応というのが出てくる生徒もいます。そんな中から「ひきこもり」生徒も出てきます。勿論、学校へ普通に通えている子でも家庭環境により引きこもりになるという事もありますが、ここでは、「勉強をしたい」という点に視点を置いてみた場合からのことを話します。


学歴社会が作った世の中というなかから生み出してきた一つが「ひきこもり」です。
子供から大人になっていく中で誰でも不安や不信をもって生きてます。肝心な影響を受け安い年齢の頃に、なにがしかの影響を受けて、普通の生き方ができずらくなってしまうのです。
学問は誰にも門戸を開けるべきで、入ってから厳しくあって当然なのです。
アメリカの大学でも、入るよりも、入ってから勉強漬けの日々がづづくと言います。日本の学生のような、遊んでいられないのです。又、日本に留学してくる外国人でも、いい大学での留学生を目にすることが多いのも、彼らが実力があるから日本の国公立をはじめとして入ってこられるのです。逆に日本から外国への留学生としていく学生も、国内の知名度の高い大学からの留学が多いでしょう。

このような、就職のための学歴が必要な日本では、秀才をはじめ、諸外国の大学卒や研究者より突出しにくいのは当然でしかないでしょう。日本の産業界が発展するためだけの学校と、学問を研究するための学校とは切り離すべきなのに、一緒になってしまっている。


また、中には「大学の学費無償化」という言葉が叫ばれたりします。
それが必要?と言わざるを得ません。高校を義務教育化もされていない国の中で、なぜ大学の学費無償化などという言葉が出てくるのでしょうか。
高校教育こそ中等教育の最後の一環として義務教育化すべきでしょう。より良き就職のためにも、時代に合わせた人材育成のためにも、その他より良き人々を採用できる社会の企業の要請に応えるためにも。高校の義務化は必要な時代です。というよりすでに遅いですが。
世界で知識レベルの比較を時として見聞きしますが、それを目指すならなお更必要です。2022年の調べでは、世界でIQレベルが、台湾が1位、2024年の調べでは、日本のIQレベルが1位となっています。


❒帝国大学

よく映画・ドラマに出てくる学徒動員と言う学生たちは、俗にいう「帝国大学」略して「帝大」の学生で、1886年明治19年に「帝国大学令」により公布設置されました。
日本における「帝国大学」と言うのはいくつかあり、叉、外国にもあったという事は、SNS上でも投稿されていますので、ご存知かもしれません。
戦前には、国内に7校と外国に2校ありました。当時でも、世界に冠たるエリート校でした。


大学名       創設年                 創設国・場所
①東京帝国大学   1886年(明治19年)       東京
②京都帝国大学   1897年(明治30年)       京都
③東北帝国大学   1907年(明治40年)       仙台
④九州帝国大学   1911年(明治44年)     福岡
➄北海道帝国大学  1918年(大正7年)       札幌
⑥京城帝国大学   1924年(大正13年)     韓国ソウル市(現ソウル大学)
⑦台北帝国大学   1928年(昭和3年)       台湾台北市(現台湾大学)
⑧大阪帝国大学   1931年(昭和6年)       大阪
⑨名古屋帝国大学  1939年(昭和14年)     名古屋
帝国大学は、戦後、昭和27年(1947)9月に、学校教育法により、外国2校以外は、新制の大学として名称の帝国大学を省いた形に変わります。
各帝国大は官立の総合大学でした。


また、京城帝国大学は、韓国に初めてできた大学でした。
当時韓国・台湾も日本の占領下にありましたが、歴史上見ても、どこの国においても自国の占領国内に大学を設置しているのは日本ぐらいのものでした。そもそも、占領国内に大学と言う高等教育機関を設けることは、他国の様な占領国には、教育は必要ないと考えていたのに対して真逆の考えを日本は持っていたことからしても、諸外国との違いが出ています。

それは、大東亜共栄圏の設立とアジアの西洋における占領からの独立を目指した一環と言うものでした。

日本が、侵略戦争を始めたと言われる大東亜戦争をはじめた理由も、当時の西欧列強による資源封鎖や戦艦製造の制限を受ける中で、戦争を始めなければならない状態のさなかにありながらも、占領国内にも大学を設立したという経緯は、決して、侵略ではないことがここにもうかがわれます。

大東亜戦争は、盧溝橋事件の勃発に始まる(1937年)。
韓国占領統治(1915~1945)・台湾統治(1895年~1945)
国際連盟脱退1933年(満州国撤退を理由に)・・・資源のない日本にとって満州の石炭鉄鉱石などの取得撤廃は死活問題。東南アジアへの進出も資源を求めざるを得ない日本。





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行政書士 井原法務事務所
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