昨今PCやスマホのメール・文章作成の世の中で、「手紙を書く」と言う行為はすたれてつつあります。ましてや、このほどのはがき・封書の郵便料金の大幅値上げもさることながら「文章を書く」と言う手作業が無くなりつつあります。
勿論全くなくなるという事はありえませんが、はがき1つ・手紙1つの書き方自体知らないと言うのは多くなるでしょう。また、定型化された文型は残されていきますので、それに打ち込めばいいと言いう簡易便利な方法が続きます。
しかし、従来からの手紙の書き方・使い方は、本や学校でなどの時間に教えてもらうだけでしか学ばなくなるでしょうし、それも学習時間としては微々たるものでしょう。
その中の一つとして、今はその意味や使われ方もしていないことに「手紙の前後には余白を開ける」と言うのがあります。
今の手紙では、書き出しの前・最後の部分に空白部があるでしょうか?・・・ほとんどないでしょう。
例えば、「前略や拝啓」はたまた「こんにちは」などで始まる前に1行、2行でも空白を作ることは、全文量が少ない時ぐらいにバランスをとるための時でもない限りないでしょう。
そして叉、最後に「敬具」や「さようなら」・「年月日」「住所氏名」などを書いて、それ以降空白部分があると言うのは往々にしてあります。これもあえてそうしてあるのが多いものです。
しかし、手紙の前後は本来あけておくべきことが、昔から習わしとしてあるという事は知っておいても損はないでしょう。
ではなぜそんなことがあったか❓(その意味を知る人は専門家位でしょう。私も意味があることなどは知りませんでしたし、前後の余白は、バランスだけに注意を注ぐだけでした。)
それが、歴史的意味があることについて、滝川誠二郎書「日本法律史話」の中の「四三 手紙の前後には余白を開ける」という箇所に書いてあります。※1
・余白を作ることは「礼儀である。~多少とも教養ある人ならば、皆心得ている」
・「当時(奈良朝時代)、寺社・百姓等が国衙(こくが)等に対して差し出す訴状.愁状の類は、その前端に、採決文言または聴許文言を書き得る余白を残して提出し、これを受けた国衛、太政官等は、採決または聴許の文言をそこに書き入れて、これを提出者に下付することが例となった。」
とあります。
つまり、国側(朝廷側)の書き込み用の空白箇所の必要性の為であったということです。
声が慣習化されてきたことが続いてきたのは、文化としての長きにおいて「不要・無駄」と一括することはできないとあります。
このように一つの文化として続いてきたものの意義を知ることは、その意味をまず知らねばならないという前提があるのです。
※1滝川誠二郎書「日本法律史話」(講談社学術文庫)「四三 手紙の前後には余白を開ける」より
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