▮大部以前のことですが、岐阜大学医学部では、「人に寄り添う医者」を目指すと言う授業を行っているとニュースで言っていました。
医者は、一歩退く存在で、寄り添っていないと言う批判からの見直しの為だそうです。
実際、患者側にとっても、それこそ雲の上の存在であることも多く、話しにくいのも事実です。
(考えてみれば分かりますが、医者と友達になれますか?何度も通っている医者なのに・病院なのに、でも友達付き合いなどしたことがない。医者が友達であると言う時は、多くが、大学で一緒だったとか・親戚の延長とかが多いのでしょう。違います?)
患者側から、「風を引いたみたいです」などと言えば、それはこちらが判断するとまで、言われる時もあるとか。それほどに、医者が患者に寄り添っていないので、病状も詳しく聞きにくい。
事実、患者側の病気の症状でも、口ではどの様に表現していいのかわからない時が多いもの。それを医者にどういえばよいか?又、聞かれた時にも、どのように答えればよいのか。
何でも話しやすい医者なら「ああだ。こうだ」と、身振り手振りも交えて、少しでも、医者に分かってもらおうとできるし、医者の方も、患者に説明するのにも、わかりやすい表現に変える事もできやすい。それが「人に寄り添う医者」ということ。
ただ、感じが良い先生=腕がいい先生ではない。(往々にして逆である)
それは何も、医者に限ったことではなく、およそ、物事を、人に伝える時の基本事項に違いないです。
決して国家資格だから、「偉い」とか「難しい職業」というのではないのです。(勿論、医者とか弁護士とか難しい試験ですが)
士業でも、営業センスも必要でもありますが、いかに依頼者に分かりやすく、かつ、信頼して納得してもらえる答えを受け取ってもらえるかと言う会話の必要性は同じ事です。
私共も、相談者・依頼者の人たちに、わかりやすいように、説明をするようにしなければならなりません。わかってもらえない時は、同じ事でも、手を変え品を変える位にして、少しでも、理解してもらえるようにする事が大切です。
「お客様と同じ目線」=これが大事です。
その点では、「教える」と言うのではないのです、「共に解決策を考える」です。
▮教養講演会より<士業を縦系列に見るのではなく横系列に見るのが必要と言う事。>
・『法律家としての役割は、市民の基本的人権、権利を擁護するところにある。…社会的責任を果たすためには、社会の基本的基準たる憲法を知っておくことが必要。』
・裁判官・検察官・弁護士・司法書士・次に他の士業と言う縦系列に社会的にも優劣を決めて見ると言う考え方は、過去のものであり、それらすべて同一線上=横並びに有ると考えるのが当然である。なのにいまだに縦系列に優劣を考えるのは、古くおかしいと言うものです。長野県の司法資料館や明治村にある裁判所などの法定の様子を再現してあるものには、裁判官や検察官は、一番上の壇上に並んでいるが、弁護士は一段下に立つようになっている。つまり、その様に差があるとされていた。
しかも、其々が別個に法解釈の基に法律判断をするのではなく、皆が一緒に協力し合ってするのが、大切である。それは、憲法上にも沿った物の考え方である。士業もいかに憲法を見据えた考え方をしなければならないかと言うわけです。
0コメント