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「日の丸焼却事件と国旗損壊罪」を考えてみる

ずっと昔の10月26日に起きた事件に「日の丸焼却事件」と言うのがありました。先般出来た「国旗損壊罪」と比べてみたいと思います。


日の丸焼却裁判

1987年10月26日に沖縄読谷村で開催された国民体育大会(国体)のソフトボール会場において、地元住民である知花昌一氏が掲揚されていた日の丸国旗を引き下ろし焼き捨てた事件。


村議会や村長は、戦時中の教育や日の丸に対する反発から、国体での日の丸国旗掲揚に反対していたが、主催者からの強い意向で掲揚が行われていた。

もっと詳しく言うと、読谷村は、先の大戦時沖縄戦において、アメリカ軍の最初の上陸地点になった村。当時、「チビチリ・ガマ」と言う鍾乳洞内で、村民82名が自決したと言う事件があった。村役場は、其の事件に際し、日の丸や君が代に対する嫌悪感を持ち続けた。そこへ、国体が開催されることとなったのが1987年秋だった。ソフトボール開催側が、「日の丸や君が代を実施しないのなら国体を他府県に移す」と言い出したので、村側も同意した。しかし、村民の一人知花晶一氏が納得できず掲揚された日の丸に登り、ライターで焼き捨てた。村長がが告訴し、国から起訴されたのです。

この裁判は、憲法上の事件としてもとても有名と言う割には、どの判例集にも必ず出ていると言うわけではありません。


国旗損壊罪

これに対し、2026年7月13日国旗損壊罪が成立し、8月13日施行されました。

今の高市総理・自民党保守議員による法案提出をもとに成立しました。日本には従来から外国国旗の損壊等に対する法律はあったものの、日本国の国旗に対する損壊などの法律がないと言う事に関し在って当然であるとして、各大臣からも同意見が出てきました。

「外国の国旗を守る法律はあるのに我が国の国旗を守る法律がないのは、不均衡・矛盾している」と。

しかし、日弁連などの反対意見も出ました。「表現の自由の侵害・国民の政治的行動を委縮させるものだ」として。

普通に考えても、自国の国旗に対する損壊の法律があって当然と考えるのは常識論であるはずなのに、成立に対し反論をすること自体が、同国人とは思えない判断です。祖国日本の国旗を損壊汚損されているニュースが中国において行われている場面の映像がSNSを通して何度も見られるところですが、反日教育のなせるところとしてもゆるがせにできないにもかかわらず何故にそのような意見が国内からも出てくるのか、です。


時としても、日の丸国旗を燃やす、バツ印を付ける、靴で踏みにじる等の場面を幾度となく見せつける中国の映像を個人の自由だ、表現の自由だとして見逃したままにすると言う思考は、どこの国民であって憤慨のなせるところであるのは同じであるにもかかわらず、嘘偽りの日本軍国主義で南京事件を犯したとして中国人を殺戮したように装った南京事件を始めとする反日行動を捨て置くなどもってのほかです。

このような昨今の事情を鑑みても、今回の「国旗損害罪」成立は誠にもって当然の帰結であって、むしろもっと昔に成立されてあっても当然であると思える法律です。


とは言え、かつて起きた「日の丸焼却事件」の如く沖縄県民にとっては、沖縄は日本国土の防波堤にさらされて、日本政府への怒りが簡単に収まるようなものではないことを今もって聞くことを思えば、国旗損壊法の成立自体も、消すことのできない沖縄県民の心として反対するのも無理からぬところですが。その意味からすると、今時の個人の表現の自由だの政治的思考の萎縮に繋がるなどの意見とは全く意にする反対意見であることが慮る所です。



外国に損壊罪はあるか?

では、世界の情勢はどうなのでしょうか。

フランス・ドイツ・イタリアなどにはあるそうですが、イギリス、カナダ、アメリカにはなく、かつてあったアメリカも、「表現の自由」に違憲とされて無くなったとあります。

兎角、西欧が一致して同じ様な考え方を持つときは、この考えが時代の潮流の最先端であるような趣を与えます。しかし、自国の国旗損壊も個人の人権にまで同列に持っていくのは、日本の様な愛国心のあるなしに基本を置くべきだとされる点が正論だと言われることには納得しかないでしょう。

いつの戦時下においても、如何に自国の国旗を先頭を切って敵地に立てかけるかを任務としていたことを考えても、そこには個人ではなく「国家としての国旗」が先だって表現されてきました。


国家「君が代」

少し話はずれますが、明治初年日本の近代化において、「外国には国歌があるが、日本には国歌があるか」と問われたときにないと答えたのが、大山厳(西郷隆盛兄弟の従兄弟)らでした。そこで、彼が「君が代」を、当時横浜駐留の英国船の楽団長に示し、楽団長が曲を付けたと言います。
そして、最初の「君が代」が、明治3年にできたとのことです。
このように、国歌も「近代化」を目指す国において西欧列強と肩を並べることが、如何に急用であったかの事実のひとつであったのです。
国旗も国歌も慣習法(不文法)としても、成文法としても、成立し法文化しているときに国家法としての尊厳があります。


話を元に戻します。


(外国国章損壊等)  明治四十年法律第四十五号として成立。
第九十二条 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の拘禁刑又は二十万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。


この法律ができた時代的背景に明治24年に起きた「大津事件」があると言います。この事件により、外国とのトラブルを防ぐため・外交的利益の安定のため、国家の威信を守備せんとする思いの上でもあったとのことです。


令和八年法律第六十九号

国旗の損壊等の処罰に関する法律

(定義)
第一条 この法律において「国旗」とは、国旗及び国歌に関する法律(平成十一年法律第百二十七号)に定める国旗として用いられていると社会通念上認められる有体物をいう。
(罰則等)
第二条 人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法により、公然と国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の拘禁刑又は二十万円以下の罰金に処する。
2 前項の方法に該当するかどうかの判断は、行為の外形、周囲の状況その他の客観的な事情を総合的に勘案して行うものとする。
(適用上の注意)
第三条 この法律の適用に当たっては、表現の自由その他の日本国憲法の保障する国民の自由と権利を不当に侵害しないように留意しなければならない。
附 則
(施行期日)
1 この法律は、公布の日から起算して二十日を経過した日から施行する。
(検討)
2 この法律の規定については、この法律の施行後三年を目途として、国旗を損壊し、除去し、又は汚損する状況に係る映像に関するインターネット等の利用の状況、損壊され若しくは汚損された国旗を公然と陳列する行為又はこれに類する行為の発生の状況その他この法律の施行状況等を勘案し、国旗を大切に思う国民感情を保護するのに必要かつ十分なものとなっているかどうか等の観点から検討が加えられ、必要があると認められるときは、その結果に基づいて所要の措置が講ぜられるものとする。


最後に

・明治期、日本は、西欧に追い付け・追い越せと言う訓令と共に、近代化を進めるべく国家統制をなしてきました。が、そもそも、飽くなき民衆の声からして独立し近代化をなしてきた西欧が起こしたのは「革命」であり、対し、日本は民集からではなく薩長同盟などを起点とする武士団であり官軍からなる「維新」である点においても、同じ国家を憂える国家観でも、その思考パターンの原論には全くの違いがあります。

西欧はどこまで行っても、民衆が立ち上げることを原点で民主主義と人権が結びついて歴史が流れていきます。そこにこそ、人権➨自由➨表現・言論・出版の自由へと結びつけば、損壊も自由の一部に組み込まれてしまい、刑罰はなく、人権が表に出て、国旗損壊罪は表出しないでしょう。


チビチリ・ガマ:沖縄県中読谷村波平1136-1。鍾乳洞。沖縄語でチビ=尻、チリ=切る、ガマ~自然にできた鍾乳洞・洞窟の事、の意味だと言う。

大津事件:明治24年に起きたロシア皇太子殺傷事件

大山厳:西郷隆盛兄弟の従兄弟に当たり、日本陸軍創設をなし、後に陸軍大臣や文部大臣になった人物。



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