「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」(正岡子規)
明治28年子規が、奈良のとある茶店で、柿を食べている時東大寺の鐘が丁度鳴りました。
それを次の日に、昨夜の事を、東大寺を法隆寺に変えて奈良の茶店で読んだ俳句(10月26日)とされます。
しかし、実際、奈良の茶店に寄ったと言う事は無く、創作とされています。
意味は「柿を食べていたらちょうどお寺の鐘が鳴った」と言う、秋の訪れの超有名な俳句。
28歳の子規は、そのころ結核を病み始めていました。
1867年10月14日生まれ。明治35年9月19日(1902)に亡くなる。
34歳。漱石と同じ東京帝大の友達
この歌は、暮れゆく年の始まりである秋に、柿を食べつつ、寺の鐘が耳に聞こえる時、「秋か暮れていく」と物悲しさを感じたのではないか、寺の鐘が悲しい、そう言いたい気がしますね。
有名な、坊主姿で写っている彼の顔写真。柿が好きだったと言います。
人は、、特に男性が坊主頭にするときは、「長髪は良くないとする、家庭や学校規則などにおいて、個人的な好き嫌い、軍人の規則上、仏教など宗教上、元々髪の毛が少ないと言う身体的なもの、気分転換、刑務所入所」等に依ることが多いものです。
勿論ただ子供の時からそうしていただけなのかもしれません。
しかし、今までせいぜい短髪で有ったのが、急遽、坊主頭にすると言う時も有ります。
心を入れ替えると言う時もありますが、精神面において非情な事態である時にも、そうすることもあります。
俗に言うところの「頭に来た」とか「耐え難い屈辱」と言う場合があります。
日ごろ短髪や長髪しか見たことがなかった人が、有る時、坊主頭にしていたとすると、何かあったと想像するに違いありません。
子規は、若い時から結核と戦いつつ、生活を送る中で、生きている事への幸せを詠んでいます。
それ故にか、この坊主頭は、今にして思えば、と言った感が有りえます。
「やろうと思いつくことすべてやれぬことばかり」の日々・「思いもよらなかったことにいつの日にかなっていると言う事」
人生を儚く思っていたのではないでしょうか。
たかだか30年少し。
そんな若さで、重い病気になった自分の人生を思い悩むとき、「何で私だけがこんな…」としか思えない毎日だった?。
人の命は、長い短いより、いかに生きたかが大事だと言われます。
しかし、長く生きられることの方が、もっと必要です。
普通に生きられれば、幸せです。
生き方が下手でも・・・・
健康でありさえすれば、苦労ばかりでも、悲しいことばかりでも、何とか人生を少しでも楽しめることもあるかもしれません。
抑々、人としてこの世に生まれてきたことは、奇跡でしかありません。
人として生まれてきたこと自体が、人の第一番目の幸せです。
多くの人々が、来世での幸せや、生まれ変わった時の幸せを願いますが、誰もそれを証明できません。
ただ、神を信じて生きるを、正しいとします。
生き方の一つに、こんな言葉があります。
「性懲りもなく生きる」です。
これは、小説『幸福と言う名の不幸』(曽野綾子著)のTVドラマ化された時に出てくる言葉です。
人生どんなことが有ろうとも、どんなことになろうとも、ただ生きる。
性懲りもなく生きるべきだと言うのです。
あまりにも深い言葉だと感じませんか。
日本果樹研究会により、2005年10月26日を「柿の日」とされました。
0コメント