今や、人生は平均年齢が80年だと言われます。それだけ長寿社会になり、多くの人が長生きできる時代になったことは、いまさら言うようなことではありません。
しかし、それは平均年齢の事です。誰もが、80歳まで生きられる保証はないのです。
厚生労働省によると、平均年齢が・・・
1947 男 50.06 女 53.96
1961 男 66.03 女 79,79
2009 男 79.59(世界5位) 女 86.44(世界1位)
2010 男 79.64 女 86.39
とあります。1947年は戦後間もないころで、当然 食生活も悪く、若い人も少ないわけです。2010年には、当時より、29~33年伸びていますね。衣食住も医学の発達もありますね。
信長の有名な「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」(敦盛の一節)の如く(と言っても、これは、人生が50年という意味ではないそうですが、当時でも人生は短かったわけで。そして、この「敦盛」というのは、今の、能や歌舞伎の元で、源平合戦の時代に、平家に平敦盛という16歳の若武者が居て、源氏の熊谷直実と戦いの時に、熊谷が敦盛が16歳と若いのでその時、自分の子も同い年で死んだことを思い出して、首を取るのをためらったが結局打ち取った。それで、そのような世のむごさをはかなんで歌ったものの一節と言います。そして、人間の50年なんぞは500年も生きるあの世では、ほんのひと時に過ぎないというわけです。)
人生は50年と考えたほうが、いちばん理に適っていませんか。両親や先祖身内を見れば、あなた自身もどれくらいかは大まかな想像もつくでしょうし、多くはそれより短いと考えたほうが合っているでしょう。もちろん、あなたがずっと長生きするかもしれませんが。昔は、10代、20代でも、立派に大仕事を成していたわけで、今時の様に、30代40代で独立どころの騒ぎではありません。明治維新でも、若いものが立っていたのであり、年よりはいなかったと言います。40歳と言えば初老と言うではありませんか。むかしの考え方のほうがしっかりしているというか、必死に生きなければならない時代背景が見えてきます。兎にも角にも、今の平均年齢を基礎に考えた生き方は良くないでしょう。少しでも悔いのない道を選ぶためにも、人生50年を基に暮らすほうが正しくないですか?。世間では、良く人生80年を文句に話を進めますが、あなたにとって何の保証もないのです。
40歳50歳では、人生の短さを、感じることは少ないでしょうが、60才も過ぎれば、「人生の黄昏」を感じいることも多くなるのでしょう。それで、今時の、「遺言。相続」はたまた,「終活」にも聞き耳を立てる事となります。貴方の相続人に何も問題なく相続が継承出来るなら、それも深煎りする必要もないかもしれません。ただ、貴方の思いだけは、紙に書かないとしても、伝えておくのが最後の務めのひとつでもあるかもしれません。「親の死」は親が子に見せる最後の務めだとも聞きます。生きるという事への指針を示すのでしょうか。
ちなみに、本日、12月9日は夏目漱石が亡くなって(1916年没)、100年目と言います。50歳でした。今から見れば、若すぎるではありませんか。松尾芭蕉も享年50歳でした。(話はそれますが、シェイクスピアなどは三流で、漱石のほうがどれほど優れているかと言った人が居ました)
これも、人それぞれの考え方ひとつですが、若い時に、苦労してきた人は特に,定年以降は、できれば人生を楽しむ方向で行きたいものです。もちろん、年金もあてにできないというので、働かざるを得ないという人も少なくないでしょう。ただ、出来るだけ、笑って過ごせる日々を少しでも多くして元気に暮らすように出来ればと思います。
また、よく「眠るように死んでいった」と言いますが、それはその時既に意識がないに過ぎないでしょう。人は死ぬときは、想像に絶する恐怖の中だと霊能者の方も言ってました。
世の中のことはどのような事もその世界を経験しなければ分かる物ではありませんが、しかし、「死」、こればかりは経験することはできません、死の経験=すべての終わりだからです。
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