「死刑制度」については、世界の多くで、「死刑廃止論」が唱えられて以来、世界が廃止の流れにあります。
我が国において、2021年12月にも、死刑執行がなされたのは、目新しい所でしょう。
それ故、世界から非難の声が届いています。
※2020年現在
①廃止国=144か国(西欧の先進国など何処も廃止)
⓶存置国=55か国(日本・アメリカ・台湾・インド・パキスタン・イラン・イラク・ベトナム・シンガポール、ミャンマー・エジプト等)。アメリカでも州によって廃止をしているところ、死刑執行停止をしたところもあると言います。
③有っても実行していない国=ロシア、韓国、ミャンマー、ラオス、アフリカの多くの国々、28か国
④死刑廃止を基本認めているが、死刑を全廃にしない国も少なくありません。
ブラジル、チリ、ペルー、イスラエルなど、通常の犯罪には死刑はないが軍事上や特異な事情の時に行う。8か国
2022年現在世界の国の数は、196か国と言います。廃止国・事実上廃止国などから比べると、8,9割以上になります。
1廃止派論
「死刑廃止論」として有名なのが、元最高裁判事。東大教授であった団藤重光博士の著「死刑廃止論」が有ります。1990年に日比谷公会堂で、開催されたフォーラムを基にして書かれたものとされています。
「死刑」そのものは、博士の言う様に「目には目を」という行為であると言うのもうなずけます。
・死刑そのものが、残虐性である事に、国家が代理する殺人である事に、反対論が説かれます。
この反対論派の理由付けは、民主主義社会の成せる業ではない事に、また、封建的な思想であると言うのと似ているのでしょう。
・死刑に犯罪抑制力があるとは思えない
・誤判であった時、とり返しが付かない。
・憲法違反である。
日本で死刑廃止は、かつて聖徳太子の「十七条憲法」に其の発芽を見るのです。聖武天皇が死刑廃止を(724年)、弘仁9年(818年)嵯峨天皇が律(法律)改正に当たり、死刑制度を取りきめ、以後347年間なかった、と言います。
しかし、保元の乱(1156年)の直後において復活します。
死刑が残虐であると言われ始めたのは、未だ新しいことです。
外国にたがわず、日本も色々な残酷刑が行われました。
そして、「死刑廃止論」の復活は、明治初期には有ったと言えることです。つまり、明治政府は、当時、法典編纂にフランス人を招こうとしました。
その時来たのがボアソナードと言う人でした。
1820年初頭には、フランスでは、死刑廃止論が高揚し、1848年の革命で新政府が出来た時、死刑廃止が検討されてました。
やがて、パリ大学の法学者であり、死刑廃止論者でもあったボアソナードが日本に来て、明治10年には、司法省に「死刑廃止意見書」を出したと言います。
日本での、廃止論は、戦後出て来たのではないのです。
また、彼は、拷問廃止も訴えています。そして、「日本近代法の父」と言われます。
明治35年には、死刑廃止論を刑務官であった小川滋次郎が唱えました。
「誤判」
も、世界にみられてきたことです。
日本でも有名な「免田栄事件」をはじめとして、再審裁判が長い年月の中で続いています。
誤判であったと分かった時の被告人の人生は、取り返しがつきません。
更に、誤判であるにもかかわらず死刑となってしまった人の命はどう取り戻すのか。
アメリカでは、最悪の免罪事件として「サッコとバンゼッティ事件」が有名です。「死刑台のメロディ―」と言う映画にもなりました。
多くの国でも誤判が多いのです。
こんな話もあります。
明治の法学者穂積陳重博士の「続法曹夜話」の中に「主観的死刑廃止論者」と題するページがあります。(彼は、渋澤栄一の長女歌子の婿)
「昔、南予宇和島に伊達村候(むらとき)公と言う殿様が居ました。当時、死刑に値するような罪人が何度あっても、ひとつ減刑して流罪にしたり、色々理屈をつけて助命した。そして一度も死刑にしたことはなかった。」(内容を抽出)と言います。※
又、その前ページにある「銀台公三たび死刑を宥(ゆる)す」と言うのが有ります。「この銀台公とは熊本城主細川重賢の事らしいのですが、死刑執行はやるが、奉行所の死刑申請があっても3度までは許す人であった。」という話もあります。
ちなみに10月10日は、「世界死刑廃止デ―」と言います。知りませんでしたが。
2肯定派論
それに対し、当然ながら、制度の肯定派の論議を知る事も必要です。
又、死刑囚の私記や事件記録なども一緒に読んでみることも、参考にするところが多いにあります。しかも、誤判についても知る事です。※2
肯定論要旨:
・被害者遺族感情としては当然必要である。
・国民感情としても必要措置である。人を殺したものは、我が身の命で償うべき。
・犯罪抑止力がある。
・憲法(36条)の残虐刑にあたらない。
西部劇によく出てくるのが、「馬泥棒は死刑」と言うもので、吊るし首にする場面がよくあります。
又、銀行強盗、列車強盗などは、追跡班を作って皆で、壮絶に打ち合い、その場で殺せない時は、裁判にかけるよりも、ドラマストーリーとしても、吊るし首に変えるのが場面的に多いものです。
裁判にかける場面では大きな街に移送する場面もあります。
つまり、アメリカの近世でも、「正義」としての裁判よりも直接的に死刑にされたのです。
そして、後になって、都会では、陪審制度が取られて、そのうえで判決が下されると言う民主的な制度になっていきます。
日本は、銃を持った殺人や強盗でも、警察が、簡単に発砲に至る事はないのですが、アメリカは、相手が発砲すればすぐ発砲で対応します。
なので、その場で警察官に射殺されるニュースも多いです。それほどに、銃社会のアメリカと違い、日本の治安の良さが出ているのでもありましょうが。(ただ侍の時代だったら、捕縛よりも、その場で切られることも有ったでしょう)
もう大部以前の話になってきましたが、日本ではテロ事件としての、オームによる無差別殺人や公証人殺人などが有りました、
日本の犯罪史上、「テロ」時代の象徴的なものとなりました。地下鉄サリンでは、多くの被害者を出しました。
主犯者が死刑になったことは、誰もが信じた結果であったものですが、ここに死刑の残虐性を問うでしょうか。考えるとすれば、この例では、日本で死刑が行われた結果を考えるにも、「死刑制度はあるが、特異な状況下としての死刑はある」に相当するとみるべきでしょう。※
※判例として、昭和58年最高裁第二小法廷、刑集三七巻6号と同じく「罪責重大➡極刑がやむ得ないと認められる」
刑罰の定義としては、「犯罪に対する法律の効果として行為者に科せられる法益のはく奪(制裁)を言う」とあります、(有斐閣「新法律学事典」より)
ただひとつ紹介すると、次のように定義する事にも目を向けてみたいのです。
それは、雑誌増刊号として、発刊された「監獄の現在」の巻末には、刑法学者澤登佳人※3氏の言葉が書かれています。
「刑罰とは、犯罪の真因である社会のしくみの欠陥に対する責任追及を免れ、犯罪の全責任を犯人1人に負っかぶせる為の仕組みである」(学歴もない19歳の少年の回顧録とも言える「無知の涙」を読むと、犯罪者永山則夫の事を考えます。)
ちなみに、「犯罪者にも人権がある」事を上記「監獄の現在」にも全編に貫かれて書かれています。
そのことを念頭に置いて「死刑制度」を考えてみると、「犯罪者=悪人=権利など何もない」という誰もが思う考え方は、直線的に過ぎるとも言えるところがあります。※
歴史上の行刑についても、勉強してみることも大事です。
日本及び西洋の行刑についての資料は、歴史書の中にも多く見られます。
何処の国でも、近世までは、多くの残虐刑が有りました。
※世界の刑罰方法論を見る事は、知見を広げるには有益ですが、何処の国も酷いものです。そんななか世界の刑罰図録などを見る際には、興味本位で書かれた、偽りの図像説明書も有るので、注意が必要です。それらは大概安物本が多いものですし、出所説明が有りません。
日本も同じで、江戸末期までは、火刑・引裂き刑等、残虐な刑が行われていました。
刑法典・監獄法なども西欧に見習った法整備がなされ、残虐刑が廃止されましたが、明治期にすぐ整備されてきたわけでもありません。
例えば、
仇討禁止令は、1873年(明治6年)2月 7日に公布。
廃刀令は、1876年(明治9年)3月28日に公布
梟首刑(晒し首)が廃止されたのは、1879.年(明治12年)1月 4日です。これは、見せしめの刑罰ですが、廃止が早かったとは言えません。
大化の改新以降に発生した江戸幕府での中国法継受時代の法制、所謂、儒教思想などを主とした考えからくるものがひかれておりました。
しかし、文明開化の中で西欧に肩を並べることで、不平等通商条約であった、日米通商条約を有利に改正する為にも必要とされた故に(欧米法継受)、近代的な監獄法として、初代「監獄則」が整理されていきます。犯罪者の人権を考えた行動指針を立ち上げていきます。※4
3恩赦
懲役刑、終身刑には、「恩赦」の制度も出て来ます。
恩赦とは、史実的には、国の主=国家元首(王様、天皇)・政府などに、めでたいことが有った時等には、犯罪者の刑が消滅や減刑されたりするものです。
死刑は、生命刑であるが故に、死刑宣告は、容易に恩赦の対象としての終身刑への変更のような事はないのです。
誤判による死刑宣告にも恩赦はないので、その意味でも、誤判はその前で防がねばなりません。
そこで、重松一義著「死刑制度必要論」には、次の提示がなされます。
誤判を防ぐために、「陪審制度」「自動的上訴制度」「裁判官全員一意の評決」「再審」「死刑の執行延期」「条件付執行猶予」「仮釈放を許さない終身刑」などの制度や考え方があるのです。
しかし、死刑相当とする明らかなる時には、殺害の残虐性・計画性・被害者感情・社会的影響など総合的に考察して重大なる罪責である時は、死刑の選択基準となり、恩赦が考慮される余地があるわけではないのです。
しかも、著者は、昨今は、明らかなる犯罪者に対しても恩赦と同じ様な考えを犯人に与え、被害者の感情を軽視するきらいがあるとも言います。(寛刑化)
間違った認識が、犯罪の防止を形骸化させ、ひいては、軽はずみな死刑廃止論に傾くということになります。
4死刑囚の心理・終身刑の心理
死刑囚の心理・終身刑の心理は、やはり違うものと言います。
死刑囚は、いずれ死刑に処せられると言う日への心のもがきが出て来るのに対し、終身刑の囚人は、死という恐怖はないと。
5まとめ
兎にも角にも、死刑制度肯定否定論は、あまりにも難しい問題であり、「世界が廃止している世の中にあって、未だ制度を存置するのは間違っている」とだけ位の意識では、政府としても、決められないのが本音と言えるのでしょう。
肯定否定の両面を並行して掘り下げる問題ですが、正解を出し得るでしょうか。
法律論では片づけられない問題です。
重松一義著「死刑制度必要論」の最後の95頁にある言葉が、著者の考えの奥底を見ますし、死刑制度必要論を締めくくっています。
曰く、【ラードブルフ※が云う如く、「越え難き谷」を越える死刑の判断は、国家として、裁判官として、あらゆる視点から万策尽きた、やむを得ない最後の例外的判断としてあることを理解するのである】
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