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「賢者の教え」バルタザール・グラシアン📖

ひと言で言えば、「処世訓」ですが,案内書きには、マキャべリの「君主論」と並ぶ古典的名著とあります。

著者自身が17世紀のスペイン人と言いますから、昨日今日の著述家ぐらいではない事は想像がつきます。

さてそんな中で、2,3拾ってみるのが、ご紹介する際には当然の事であると思われます。

例えば・・・・

「仕事はやや控え、人生はゆっくりと送るべきだ」

の中では、≺人間が確実に所有できるものは、時間だけなのである。・・・・働き過ぎは、貧欲の母であり、退屈の身代わりにすぎない」とあります。

後半部分は、「?」とも思うものの、前半の「時間だけである」と言うのは、言い得ていますが、普段そう思でしょうか。

そもそも人は、「時間を所有」しているのでしょうか?時間は,刻々と流れる物であり、過去に戻ると言う様な事の出来ない、逆らう事も出来ない自然です。

若し「時間を所有」出来ているとしたら、将来の時間の使い方などの計画管理は出来るもののたとえ、10分でも、10分を長くしたり、短くしたりが出来ることを言うでしょう。

唯考え方自身は、今時の働き方か改革を宣伝する日本に似ています。

西欧では、週休3日制の議案が出ています。真剣に。

また、

「七年毎に脱皮を果たし自分の精神を一新せよ」

この7年毎が何処からきているのか知りませんでしたが、結婚後、7年目には離婚が一番多いなど、脳科学の分野でも、よく知られている事のようです。
また、人生では、それが節目になっていると言います。

マリリンモンローの「七年目の浮気は、理路整然としていたのですね。


「物質的に恵まれ過ぎると隠れた敵をつくるものだ」

確かにこれは普遍の原理です。兎角貧民な生活をしていると、自分の努力もなしに、自分より豊かな生活をしている人を、ねたむ罵るのが人の常です。

唯、同じ貧困生活者でも2種類あって、ひとつはこれではいけないとそこから限りなく努力して這い上がる人と、そのまま生きる人の二通りがあります。

当然前者の人生は、他人には分かりもしないし、ある程度以上に成功すれば、他人に威張りたいほどの裕福な生活をします。それはそれで素晴らしいんです。又、後者は、人をねたみ、社会をねたみ、ともすれば犯罪者になります。

人は、同じ意識レベルの人同士の付き合いでないと、犯罪にも巻き込まれやすいのが事実です。「類は類を呼ぶ」のです。人間の性格とは次元の異なる話になってしまいますが。


追記)

此の本の翻訳者であり、人生論でも有名だった加藤諦三氏のあとがきにある「モラトリアム人間」についての文は、この本の要約を一言表しているようにも思えます。

即ち、人は夢や希望に生きるを良しとしますが、それだけでは、生きていけません。常に実行と失敗の連続経験が必要です。にもかかわらず、生活が豊かになったおかげで、現実逃避癖が蔓延しています。たとえば、高学歴化の中で、日本は他国とは違い、大学は学問研究の場ではなくところてん式に卒業できる、就職のための名目作りの機関になっており、勉強しなくても単位が取れて卒業できる学校になっている学校が多いのです。高校までと違い、自由に勉強できるという名目の中で、自由が、遊べる自由だけになっているのが日本の大学です。勿論必死に学問に専念している学生もいます。そんな学生時代が居心地よく、卒業してもその雰囲気が忘れられなくて、同じような環境を選んで生き続けます。つまり、夢ばかり見ているのです。中には、現実から逃避して、転職を繰り返すのもその一つでもあります。

加藤氏はそんな人たちをこういっています。「モラトリアム人間」だと。

昨今、出生率減少、人口減少の1つが未婚率増加にあります。其れの原因の1つに「低収入で結婚できない」と言うのもありますが、戦後なども、誰もが、「今日を生きる食べ物に困っても家族の為に」と結婚もし、子供も産み育ててきたことを思えば、収入も大事な要素ですがそれだけでは未婚の理由にはならないという事です。それ以前に、現実を、いかに見据えて生きて居るかの方が大事なのです。

加藤氏曰く「社会の中で生きるとは、現実の自分の能力を受け入れてその中で生きていく姿勢を持つということである。したがって、神経症的自尊心をもった人は現実にコミットできない。いつまでも現実逃避しているうちに人生が終わってしまう」と。


※「賢者の教え」バルタザール・グラシアン(経済界)

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