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【自由のはきちがい】

平和な社会に生きると、自由をはき違えやすくなる。
物資の容易な取得社会に生まれ育つと、自由を個人主義から、さらに利己主義や、その場だけよければというような自堕落に陥りやすいものです。
むしろ、物がなく、貧困な生活の中で、一生懸命希望をもって、生きようと努力しているうちが、人間華なのかもしれません。
しかも、たった一度の人生だからと言って、勝手気ままに生きることが自由ではないでしょう。
たった一度の人生だから、一生懸命生きたという証を携えて最期を迎えられるように生きることが、「生きる」ということでしょう。

「自由」のもとに自由を謳歌しながら、努力した人生だと大いに自負できることこそが、大切だと自覚することからその自由という名の真実が始まるのでしょう。

この頃よくある事件のひとつに、ネットの誹謗中傷がありますが、これも、「言論の自由」だの「報道の自由」などが兎角問題提議されるのはご存知のことです。

誹謗中傷による裁判で、原告が勝ったのがあります。そこには、稀に見る裁判判決であるが、<「言論の自由」が問われかねない>という批評が載せてありました。

しかし、そこに多くの人の非難が寄せられてもいましたが、誹謗中傷に対しての裁判判断であり、何も稀有な判断でもないでしょう。また、誹謗中傷したことに対しては、過度であればあるほど、被害者側の立場に立つのが「正義ある判決」でしょうから、それが行き過ぎであり、「言論の自由」が逸脱しているというような批評は、返って「解釈理論のあてつけ」をしているようなものではないでしょうか。


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