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文明開化の7つ道具?

●先般、「1年365日。今日は何の日か?」について読んでいましたら、4月4日は、「あんパンの日」であるというのが出ていました。 
明治8年4月4日に、東京銀座の木村屋総本店という店が、明治天皇・皇后にあんぱんを献上した日だとありました。
しかも、そのパンは、八重桜の塩漬けがトッピングされたものであったとありますし、それを記念して、2001年に「あんぱんの日」を制定したのだそうです。
この店は明治2年に創業し、明治7年「あんぱん」そのものの元祖店して今なお続いている店とあります。


「七つ道具」という言葉は知りませんでしたが、この「あんぱん」は「文明開化の七つ道具」のひとつに数えられていることでもあるとあります。
つまり、「文明開化の七つ道具」とは何かといえば、・・・

《あんぱん・蒸気船・岡蒸気・ガス灯・郵便・写真絵・展覧会》

ということです。ものによっては、「新聞社」と「軽気球」も入って9つありますが。もっとかもしれません・・・・



●「文明開化」とは、それまでの日本が、鎖国による国内統一下にあり、外国文化の取りれは、長崎出島を通してしか文化が入ってこなかったのですから、明治は、まさに180度転換した生活を強いられる社会となったのです。
そんな社会に入ってきた西洋文明の象徴とされる《あんぱん・蒸気船・岡蒸気・ガス灯・郵便・写真絵・展覧会・靴・洋服・散切り頭・洋式建築・太陽暦・洋食・ハットほか》などです。
西洋へ渡航経験のある侍をはじめとした人たちもさることながら、一般庶民の驚きはいかばかりであったかは、残された明治文化史録などに多く見られます。
「西洋文化を受け入れることが、文明開化」であったわけ(とはいっても、日本文化とうまく交えながら、取りれて行きますが。そもそも、日本は「猿真似文化」と揶揄されるほどに、人のものをまねしてそれ以上のものを作り出すという技術文化を持っている文化ですが)で、外国から鎖国により約300年遅れてしまった分を取り返すべく、真っ先にやったのが「富国強兵」と「産業殖産」でありました。

列強諸国と肩を並べるべく日本がやってこられたのも、鎖国状態で来たとはいえ、いち早く外国文化を取り入れることに扮装しえた日本文化と日本人そのものが、世界の不思議に数えられています。

又,香港をはじめとした東南アジア進出による西洋列強諸国の侵略から免れた、日本の指導者たちの行いも、尊敬すべくことばかりでしたのは、最近はやっている歴史ドラマでも散見できるところで、大いにその人たちの恩恵を目にするところです。
俗に「先進国」という要件には何があるのかというと、「その国自体で、モノを作り、生産、消費が賄える技術・文化を持っていること」があります。
江戸文化というのは、時々言われるように、当時、世界一の人口数を持ち、有数の文化を持った大都市でした。上下水道が敷かれていたり、寺子屋が広まって、知識率も高かったという時代。


繰り返しますが、いくら鎖国をしていて世界(西洋)から後れを取ったと言っても、産業技術や西洋的な文化制度がなかったこと以外は、すでに文化程度が高かった点では、300年の遅れを急速に賄える文化的素養がありました。
アジアや諸国や南米・アフリカのような外国に植民地化されることがなかった文化水準のあった国としても「先進国」に違いがなかったのです。
それほどに民族として優れていたわけです。だから、昔から、西洋と日本だけが、今ある「先進国」に並び称される位置にあるのがわかろうというものです。




有名な言葉を一つ:

「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」


牛鍋・コロッケ・キャンデイ等明治に取り入れられ、流行ったと言います。肉食は、仏教上其れまで食べなかったものですが、中には、熊・イノシシ・鳥などを取って食べる猟師をはじめとした人もいるわけで、まったく食べたことがないわけではなかったのです。ただ、仏教上、動物を殺すことは殺生をすることであり、「穢れ」であり、卵から肉に至るまで、食べる習慣がなかったというものです。

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