昨今よく謂われるところの、「墓仕舞い」は、知らない人は少ないでしょう。
調べてみると、昔から「仕舞い」はいっぱいあります。
「仕舞い」とは、目的を完結しなかったこと。終えることを言います。
やらずじまい
店じまい
仏壇仕舞い
行かずじまい
出来ずじまい
・・・・・
つまり、どれもこれも、①「今までやってきたことを終える」か②「やり始めても、簡潔を見ないで終わる」ことを言うわけです。
一言でいえば、①は、モノの別れを意味し、②は中途半端で終わることです。
①は完結する・継続する中で、今までの成果に区切りをつける点では、それなりの成果を認めますが、②には、意味がありません。
言い換えると、「いい加減だった」とか「情けない」という事にもつながります。
これは、世界的風潮でもあります。なぜなら、モノの取得が昔より容易になったことにも其の要因を認めるからです。
人ほどよりよい社会を目指していくのと並行して、便利さの上に胡坐をかきやすい種族も、他にないでしょう。そこに怠惰が当然生まれてきます。
「便利な生活」と「快適な生活」とには違いがあります。
しかし、日本には日本の文化史・民族史・民俗史などの人の上に蓄積されて歴史があります。
これは昨日今日できたものではなく、多くの人の努力の上に成り立ってきたものです。その中から常に、人の幸福を考えて培われてきたものです。つまり、めったやたらに、時代に合わないとか、面倒だとか、などの理由で180度も変えてよいというものでもありません
先祖の人々は常にこの国の未来の為に生きてきたのですから、後に生きていく人々は、それをある程度でも守り続ける覚悟もいります。
今ある自分が、先祖からのおかげである事を忘れると、文明文化というものは存続の危機に会います。自分たちの好き勝手な生活様式になってしまうと、文化というのは、おのおのの自由という名の下で、崩壊してしまいます。
何事にも基礎・基盤があります。それが崩れることですから当然、見た目のカラフルさが先行して、中身はバラバラで統一性もないという事になります。
一国の長い歴史の中で培買われてきた文化文明は、継続しなければならない運命を背負っています。
時代が違うからしょうがないというのではなく、「受け継がねばならない文化」というものをみんなで考え未来に繫げていかねばなりません。
世の中が進めば進むほどに、複雑化して、今までの常識が常識でなくなることは当然でありますが、無くしてはいけない文化を守らなければならないという宿命もあります。
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