1⃣hug とは、英語で、ハグ=抱擁ですが、西洋人の普通の習慣です。
外国人を見て良く感じる事は・・・・・簡単にハグすることです。
古来から日本にはもともとその様な習慣はありません。
最も、楽しい時、悲しい時、非常な興奮時にはあります。
しかし、それらを含め挨拶としてのハグは、あっても多くは男同士でしょう。
女性同士であるときは非常に少ないのではないでしょうか。
日本では本来人前ですること自体が、恥とされていますから、そのような場面を見るのは、最近の事と言えましょう。
しかも、それは、男女間の愛情と言う形で、若い層に限られますが。
日本人のハグの多くは、男女間の事を外せば、友情として、同情としてだけではないでしょうか。
握手でも同じような歴史をたどっていますが、まだこちらの方が、気楽に交わされてはいます。
2⃣各家庭において、親子でのハグがどのくらいあるのでしょうか。
子どもが幼い時にハグするのは当然な親子関係のハグなので、ここで言うハグには相当しません。
一般に、親子でスキンシップと言えば、やはり、「口で言う」「手を差し伸べる」位でしょう。
ハグは、親子においていて一番必要なスキンシップなのにありません。
日本では、何かの度に、ハグをするという習慣がないので、世代が代わり、両親がこの世から居なくなった時に、後悔する一つとして、ハグを一度もしてないと言うことがありませんか。兄弟同士でも同じです。
「親子で普段ハグする」と言う事に、何の関心をも持たないと言う人も見えるかもしれません。「そんなこと必要がない」と。
しかし、「両親と子供と言う我が家族」関係で生きていたころは、お互いに色々問題が起きて不仲であったとしても、両親と言う存在が今の我が身の存在であることを考えることは少ないのでしょう。
が、それを思い知るのは、その両親を失ってからでしかないのが普通かもしれません。
その時、西洋人の様に普通にハグし合う習慣があったならば、もっと、親子のスキンシップは、深まっていたかもしれません。
3⃣また、西洋人は、よく親子でも「愛している」と言います。
「日本人は、そんなことは分かっていても、態度には出さないものだ」と言うならば、寂しい文化だと思います。恥ずかしいと言うのではなく、普通にラフにできて当然なあいさつに過ぎないのです。
勿論、昨今の様に、誰彼無しに、触れるとセクハラ騒ぎになるような社会では、尚の事やる必要のない行動と言われざるを得ませんが。
ただ、誰もが言うように「たった一度の人生」ならば、なぜもっと気楽に、お互いの気持ちを出して、ハグしながら、言葉を交わせ逢えないのか。
同じ感情の交わり愛でも、ハグしながらの時と、ハグしない時とでは、随分違いも出てくるでしょうに。
4⃣葬儀の時にお互いにハグして泣き合う姿は。時として見られるものです。
どうも日本人は、悲しみも人前で出すことを良しとしないのでしょうが、「人前で泣くこと自体を、恥ずかしいと思う文化です」だから時として「みっともない」「いつまで泣いている」などと言う言葉が投げられる時があります。が、間違っているでしょう。悲しい時には、泣けばいいのです。泣けるだけ泣いてやることも、故人への愛の現われです。
5⃣たった一度でも、その両親の子供として、両親とハグすることをお勧めします。
いつかあなたは、あなたの両親と別れていくのです。
その時思い起こすのは、幸せだった時の事です。
多くは、両親がまだ若く、あなたが、小さな子供であった時や青年であった時です。
親子で、ともにハツラツと生きていられた頃の幸せがどれほどのものであるかが分かる時、もう両親は年老いているか、この世にいないかです。
その時に、きっと一度は感じるはずです。
一度も、両親と抱き締めあったことがないなあと。
親の温みをその手で、感じ取っておきたいと思いませんか。
勿論、そんな事は一度もなかったが、お互い悔いのない生き方をしてきたと言われるならそれはそれでよいのです。
またしても言います
「阿吽の呼吸」なんてものは、無いに等しいのです。どんなことでも態度に出さないとわかりずらいでしょう。
勿論、それほどに、強い結びつきでもありたいものですが。
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