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袴田巌さんに再審無罪判決=逆転無罪、そして、無罪確定

ニュースでもご存知のように、2024年9月26日2時頃静岡地裁にて、袴田巌さんに再審無罪判決がありました。それをまとめてみます。

❐袴田事件

🔵1966年6月30日静岡県清水市のみそ製造会社で火災が発生、焼け跡からの専務一家4人が刺殺された遺体が発見された。従業員の袴田巌氏(当時23才)が犯人とされた事件で、住居侵入・放火罪・強盗殺人で、死刑判決(静岡地裁)が出た。

🔵2024年9月26日,この事件で死刑判決が確定した袴田巌さん(88才)の再審(やり直し)裁判で、静岡地方裁判所は無罪判決を言い渡しました。

🔵2024年10月8日 検察側控訴ぜずと発表。袴田さんは無罪確定しました


【注目点】  捜査機関による証拠の捏造を認定した点が大注目!
【最大の争点】事件から1年2か月後、現場近くのみそタンクから見つかった5点の衣類。着衣
       の「赤い血痕」について、検察側は、「みそ漬けされても血痕も赤みが残る
       可能性があるとして死刑を求刑」、弁護側は「捜査機関により捏造されたも
       のだ」と無罪を主張。
【判決】   ①1年以上みそ漬けされた場合は、血痕に赤みが残るとはみとめられないと指
        摘。捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされた
       ➁捜査機関による、取り調べについても捏造であると認定
【静岡地裁】「袴田さんに精神的苦痛を与え供述を強制する非人道的なもので実質的な捏造」

       裁判長=国井恒志(こうし)58才


●今までにないほどの単刀直入な判決内容。警察検察側の驚きと言うかその感情が手に取るほどの想像をさせます。今後検察側が控訴するかどうかという事ですが、過去の死刑事件にはその事例がないとのこと。

この事件は警察とマスコミによってすべて作られた事件とも、科学捜査を基に警察検察がでっち上げた最大の免罪事件とも言います。※1


以前の静岡地裁、今回の静岡地裁


◉今までの弁護側の無実を立証するための項目※1
①5点の着衣中のズボン=東京高裁が着衣実験を行っても、全く履けない=これが一番の証拠
➁強制自白=侵入脱出口である裏木戸が、自白方法では不可能➨警察は可能と再実験、裁判所も認める
③凶器のクリ小刀とサヤが一致しない。
④警察検察の捏造を明白にする。


1968年   1審静岡地裁判決 死刑
1976年   2審東京高裁 控訴棄却 
1980年   最高裁 死刑確定
2024年9.26 無罪判決
2024年10.8 無罪確定


❐免罪が起きる要件の話を拾えば・・・

「死刑か無罪か―冤罪を考えるー」と言う本から拾ってみます。(引用)

🔵「冤罪が起きる要素として何が考えられるか」
 「それは裁判官にある」※2のP43より
🔵「裁判官には、被告よりも警察官の言葉を信じる傾向があるようだ」同P43
🔵「冤罪が起きる最大の原因は何か」
 「金田さんは、代用監獄の問題を上げた」同P47

          ▼▼▼▼

免罪事件が起きる理由、今まで言われていることをまとめると・・・

①自白の強制=取調室での強制誘導・調書の捏造
➁物証=現場捜査でも捏造
➁裁判官の裁量の無さ=予断と偏見
③別件逮捕=証拠がないので証拠を作る
④代用監獄という警察留置所


時代をさかのぼれば、古くから、犯行を自白させるために、叉犯人と特定するために、自白をさせる時には残虐な拷問手段を用いてきたのは世界中どこでもです。日本もそれにたがわず、明治以降も近代化にたがわず、かつ戦後も、多くの官憲により、残虐な取り調べがなされてきたことが多くの書籍となって残っています。




しかし・・・

「誤判は避けられない」と言います。

誤判による死刑実行は、命の取り返しがつかない。それ故、世界が、死刑制度の廃止を唱えてきた歴史の中でも、世界から、日本の死刑制度が、最終の誹謗中傷を受ける国となっています。実際、世論調査にも、死刑賛成が多数であると言うのがあるそうで、それは、死刑存置論の肯定派の理由の一つとあります。

但し、死刑制度の賛成と言う場合でも、それが世論だと決めつけてはならないという事です。又、どのような場合も、世論はこうだと言う決めつけ方で、法制度がそちらになびくことはあってはならないという事です。下記の本※4の中で、著者が「死刑の法的存在そのものが、世論を味方する作用を潜在的に働かせている」と述べています。そして、著者はイギリスの有名な法律家A.ダイシ―の言葉を借りて言います「『世論と言うものが無差別に利用されてはならない』と述べています」

しかも、その章の最終行において次の様に述べています。

「復讐心から生ずる応報というものは、適正な文明行為ないしは人道的正義とは両立しないのではないでしょうか」

死刑制度の廃止・存置論については余りにも難しい問題がありますが、オウム真理教事件を取り上げるまでもなく、はっきりとわかっている犯罪者には、もし死刑に相当するという制度がなく、無期懲役とするには、大多数の被害者に対しての弁明が付きません。その意味でいえば、死刑制度はあるが、明白な実態がない場合は、行わない(疑わしきは裁かず)が妥当ではないかと、被害者意識としても制度の廃止を断定するのは難かすぎるでしょう。


言い方は悪いですが、一言で言えば、人の命は「生きるも死すも医者次第」と言われますが、裁判も同じじゃないかです。「生きるも死すも裁判官次第」と・・・


死刑制度については、以前も書いておりますのでそちらも参照ください。

「死刑制度の存置・廃止を考える時」




参考文献:※1「日本の免罪」日本評論社
                 ※2「死刑か無罪か―冤罪を考えるー」岩波ブックレットNo.33
     ※3「日本の死刑廃止と被拘禁者の人権保障」日本評論社
     ※4「死刑廃止を考える」岩波ブックレットNo.166
     他 「誤った裁判」「免罪」「日本の刑事裁判」岩波新書
       「魔の時間」筑紫書房 
       「拷問」図書出版社
       「供述の真理」日本評論社 等、この分野には多数あります。

     

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