次の記事                                                              前の記事

狭山事件を読む ~偏見と免罪~

ご存知のように、2025年3月11日狭山事件の容疑者として無期懲役判決を受けていた、石川一雄さんが亡くなったことがニュースで流れました。

まず初めに、この場にて、無念のまま亡くなられた石川さんのご冥福をお祈りいたします。


裁判のやり直しの再審請求中、2024年末には、肺炎のため治療生活中だったと言います。
そして、3月11日午前10時31分狭山市内の病院にて、誤嚥性肺炎により亡くなられたとの事。86歳でした。この事件も日本の事件史としては、免罪事件としても有名な事件の1つとなっていました。
先年2024年10月にも袴田巌さんに再審無罪判決が出たばかりでした。※1


1963年5月1日に起きたこの事件は、事件捜査の初めから裁判迄「偏見」が免罪を作り上げていることを、まざまざと伝えます。


以下に事件の流れを各書籍から抽出して書きます。

1963年  5月  1日     埼玉県狭山市にて女子高校生殺人事件発生
1963年  5月23日     別件(暴行窃盗容疑)で被告逮捕される
1963年  6月17日  再逮捕・・否認を続ける
1963年  6月20日    自白
1964年  3月11日    死刑判決を言いわたされる(この間6ヶ月)
1964年  3月12日    控訴
1964年  9月10日    第二審第1回公判
1970年  4月21日    第二審公判再開
1973年11月27日    公判再開
1974年10月31日    東京高裁、死刑から無期懲役に変更判決
1975年  1月28日    上告趣意書提出(新証拠提出)
1977年  8月  9日    最高裁上告棄却(新証拠廃除される)
1977年  8月30日    再審請求を出す
1980年  2月  7日    高裁再審棄却(現場検証など事実審理を行わず)
1980年  2月12日    異議申し立て
1981年  3月25日    異議申し立て棄却
1981年  3月30日    最高裁に特別抗告申立中
1985年  5月28日    特別抗告棄却
               その後も新証拠が出る。
1994年12月    仮釈放


3度の再審請求も空しく、強盗殺人と言う無実の罪をきせられたまま、また、多くの人からの無実の訴えの中で無実を勝ち取ることを信じていましたが亡くなられました。


下記参照文献の➄の冊子P124の狭山事件について書かれてもいる通り、著者の言葉を借りれば「部落差別による免罪事件」でした。


<免罪につながる事象>

別件逮捕
・被差別部落生まれ
・スピード判決による死刑宣告
・証人調べや現場検証もしないで判決も出す
・警察官の自白強要➨「○○さん殺しをみとめれば十年で出してやる。男の約束だ」
・当時の吉展ちゃん誘拐事件の犯人を逃したミスに対する警察の面目挽回もあったが、今回も
 眞犯人を取り逃がした。
・捜索が終わった場所から出てきたカバン
・家宅捜査で何もなかったはずの鴨居から出てきた万年筆、しかも、そのインクは、いつも被 
 害者が日記で使っているインクの色とは違う。
・証拠品「鞄・万年筆・腕時計・手ぬぐい・タオル・細紐・荒縄・教科書・ノート・ゴム紐等
 から、どれ一つ石川さんの指紋検出できず。
・発見された被疑者の腕時計とは型の異なる腕時計を只のミスと言う警察
・現場検証でも、自白とは異なる多くの事実
・被害者死体発見後、事件翌年後の身内の変死
・真犯人の書いた脅迫状と明らかに違う筆跡鑑定とその筆圧痕を調査要求する弁護団の要求に

 も裁判所は応じない。  
・現場にあった足跡より小さい石川さんの足のサイズ
・自白を再現しても運搬や穴等困難な事ばかり

 



そしてまた、➄の冊子の中にも書いてあるのですが、石川さんは「文字を知らないゆえに無実を訴えるすべがなく、これほどみじめでつらかったことはなかった」と語っていたとあります。


④の写真集には石川さんの生涯がつづられています。その中から部分的に拾ってみます。

【八畳一間のバラック建て~両親と、兄、姉、私、弟、妹との日地人家族~父がいくらまじめに働いても。七人家族が食えるだけの収入すらとることができなかった~うどんの束を五つしか買えず~。
小学二年生頃から百姓仕事をやり~。雨が降っている時はきまって休みました。傘が家に一本もなかったからです。PTA会費など金の徴収の日も休みました。
また、学校で、画用紙や手紙を買ってくるようにといった次の日は必ず休みました。
~一度も家庭訪問をうけたことがありません。
「かわだんぼ」と呼ばれ、~「かわだんぼはくさい、きたないと」~差別された。
十六歳から十八歳ころまで主に土方仕事をする~。昭和三十三年ごろから、「東鳩」や「西川土建」などにつとめ.三十七年ごろにⅠ豚屋につとめて~。
私は小学校をやめて別件で逮捕されるまで文字の読み書きがほとんどできませんでした。】


・終戦前からも貧しい暮らしが続く中で、小学校すらまともに行けなかった人も大勢いました。それもまた、彼の人生に多大な影を生み出していくのです。

真犯人が書いた脅迫状に書かれた間違いだらけでも書きなれた文字や文面は、全く彼には無理であることもわかります。

惨めな思いをしながらもどうにか一生懸命働いてきた人の人生を、変えてしまったのです。しかも、無実の罪も晴らされないまま。




昔から、こういう思いをして警察の自白強要に応じてしまった人は、どれほどいるかは数知れないところです。上述の如く「○○さん殺しをみとめれば十年で出してやる。男の約束だ」とか一番多いのが「お前がやったと言えば家に返してやる」と言う言葉です。

気が小さく、世間知らずの人にはそのまま嘘でも言えば、今の身が軽くなると信じてしまい、その罠にはまって、やってもいないことを言わされて、判を押させられてしまうと言うのです。

又、この事件後には、被害者側・加害者側の身内の人も何人もおかしな亡くなり方をしているともあります。益々以て不可思議です。これは、捕まっていない真犯人がすべてを消し去ろうとしたようにも取れますが。



※1参照「袴田巌さんに再審無罪判決」   

※参照文献:たくさん出ていますが、下記の中では、古いのですが、④.写真集が一番リアルで、1から10まで事件すべてをビジュアルに再現しているものと思われますし、これ1つ読んだだけでも、この事件を知ることができます。新しいのが出ているかもしれませんが。
又、①②は非常に細かく全ての事象を辿っています。

➀「狭山事件(上下)」野間宏著(岩波新書)
➁「ドキュメント狭山事件」佐木隆三著(文集文庫)
③[狭山事件とは・免罪とその構造」森井暲著(解放出版社)
④「無実の獄25年狭山事件写真集」1988年出版(解放出版社)
➄「日本の免罪」法学セミナー(日本評論社)
⑥「狭山事件の真実」鎌田慧(岩波現代文庫2010年出版)


0コメント

  • 1000 / 1000


行政書士 井原法務事務所
TEL/FAX 058-241-3583