人の幸福度感覚は、其々ですが、基本的には、お金の余裕差にあると言って過言ではないはずです。
❒戦後からの労働と労働意識
・古来から日本人にとって「働く」とは、「はた(自分以外のほかのひと)を楽にする」と言う意味合いを持っていた。
日本では、敗戦後の混乱期の中で、人が今日を生きるには、食材の確保の為が最優先課題の毎日でした。そして世の中がどうにか物資に余裕が出てくるようになります(戦後復興期)。その後、三種の神器を始めとした好景気を迎えます。次に来る、経済発展の中でバブル期を迎え、日本人の懐を余裕をもって支えるとなると、物にあふれる生活が主流となり、物の価値感が、「金で買える・金があれば何でもできる」事に変わっていきます。(「消費は美徳」と言う意識化)
しかし、1990年には、バブルがはじけて、不況下が続き、20年にはアベノミクスに代表される経済対策(デフレ脱却)がなされても、停滞が続きます。
現在、コロナや今の物価高の世の中にあっても、労働の対価としての報酬以上に、「余裕ある時間」感情が、同時性を持ちます、それは、裕福さからくる感情であることに間違いがないのですが、物不足と物価高が同時である時にはインフレとデフレがともに発生(スタグフレーション)し、需要と供給のバランスはすでに崩壊しているにもかかわらず、人の時間への願望は膨れ上がったままです。(現在はインフレ状態と言う)
今般の米不足と異状価格、それに伴った食材の物価高は庶民の生活を圧迫するままに、政府は企業の賃金増を強制するも、生活苦は続いています。
❒ 西洋の労働意識に見る時短の変遷
日本では、「時短」の動向は1960年頃には言われだし、2000年頃からは、企業の義務化が生まれてきます。
西洋においてはキリスト教に見られるように、「労働は罪」である考えがあったのに対し、日本では、労働は、「」であった点が、元々土壌性としても、考え方に基本的な違いがあります。古代において労働は、奴隷が成すものと言う意識で。中世に有ってもそれは、下層社会の物であったのですが、16世紀んは、労働はすべての人に与えられるものとしての、上下の差を持たない思考に変わっていきます。
その後、イギリスをはじめとする産業革命(19世紀)が起きると、長時間労働であったもののの、時短意識は「1日8時間労働制」を求める運動意識が高まっていきます。
1919年には、国際的な規制が成立します。
❒働き方の多様性
企業においても、「時短」は、働く側の健康と賃金に対するものであるばかりではなく、その意味するところは,「労働時間の短縮」をもって、労働のプロセスからみる「生産性の向上」を基本とした、利益向上にあります。
そして、労働者側の働き方に色々な発想が出てきます。(これも働き方の多様性と言えます)
・ワークバランス
・フレキシブル制度
・フレックスタイム
・テレワーク
・時短勤務
・副業兼業
・週休3日制
0コメント