私たちの周りにはモノがあふれかえっています。
なので、ひとつ物が増えれば、其れへの新しい感覚が出来ます。
そして、それがどうでもいいようなものでもない限り、いずれ無くなると、その物に対する愛着也感情が失われることで、寂しさ・悲しさが湧いてきます。
しかし、それがはじめからないのであれば、そのような感情は全くないわけです。
最低限必要なものだけを会得し、愛情をもってはぐくむことが一番シンプルで、深い感情をもって生活できます。
例えば、「これは便利ね、いつか使うから。ほしいから・買っておきましょう」*¹というものは、使わないまま朽ちていきやすいものです。
又は使わないまま場所を取っているだけということ事も有ります。
身の回りにある事すべてに対して考えてみると、いかにそのようなものが多いと言う事がわかります。
「シンプルライフ イズ ベスト」で生活するのがいかに大事かです。
アナログ社会からデジタル社会への以降は、一層の「物への執着」「断捨離」「整理整頓」などを促進します。
(*¹ これはひとつには、「物の豊かさ」社会の中で生きられる人の「甘え」から出てくるとも言えましょう)
そして、また、これは「物」だけではありません。
命あるものについても、人間でも同じです。
「親がいなかったから、私はぐれてしまった。貧乏な一生だった」などと人生を呪ってみることもよくある話です。
しかし、大きくなればなるほど、その人の幸せは、その人自身が作るものです。
ですから、初めからいないのであれば、いないと言う事への悲しみや辛さを克服しさえする生き方を模索し、幸せを勝ち取れば、いない親への執着心は少なくなることもあるでしょう。
(又、今を生きることに、精一杯であれば、その事だけに執着しやすいものです。)*²
※参照:
・「甘え」の構造 (土居兼郎著・弘文堂)・・・人間の生き方にみる「甘え」をテーマにした本で、特に日本人を対象にした説明をしている。
*² 被害感=この著において、土居先生は「被害と言う言葉は日本語として比較的最近作られた物であるにもかかわらず、現在ではわれわれの言語生活になくてはならぬものとなっている。このことはもともと日本語の中に被害の具体的事実をあらわす表現が多いことと恐らく無関係ではないであろう。」と述べています。
そして、「日本語は、害を受けた時に受け身を使う事が特徴的である」と述べています。
・「タテ社会の人間関係」中根千枝著・・・これも人の性格を捕らえた著名な本です。
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