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不法滞在について

不法滞在とは、入管用語で、在留許可を持たずして我が国に在留、すなわち、住んでいる外国人又は、日本国籍のない元日本人(ま、こういう人はほぼいないでしょうが)のことを言います。
多様性と言われて、叉外国人労働者の引っ張り合いを世界的にしている昨今の世界情勢においても,多くの国で、難民をはじめとして、在留許可を持たない、又は今まで持っていたとしても、許可期間がすでに切れてしまっている外国人のなんと多い事か。
フランスなど西欧でも、安易な外国人受け入れをしてきたために、不法滞在者や、同じ民族同士、おなじ国籍者同士が、自分達の権利を主張しだしたり、多くの犯罪者を生み出しています。日本も外国にたがわず同じ道を進みつつあります。
現在、育成就労制度の移行に伴い、故意による税金滞納者などの永住許可の取消しについて審議か続いています。


これについて思い出すのは、江戸時代の鎖国です。
信長や秀吉だったら、世界制覇を目指すばかりですし、また、信長は、キリスト教布教をゆるし、キリスト教信者を増やして、国内の神教や仏教への加護は無くなっていたかもしれません。事実、信長は、1571年比叡山の焼き討ちを行い僧侶、女性子供の大虐殺を行いました。(最もこれは、比叡山の僧侶が信長に敵対行為を持っていたとか、僧侶の本分を行わない生活にあったとかいうのが理由でしたが。)秀吉は、1581年にバテレン追放令を出していますし、サンフェリペ号事件もあります。
それに対し、家康は鎖国を行い、スペインではなくオランダやポルトガルを選びました。スペイン等キリスト布教は、キリスト布教を通した、日本を植民地化しようとしていたことが知られています。世界の植民地化はすべてそれです。それを見抜いた家康こそが日本を救ったからこそ、江戸文化と言う世界に冠たる文化を生み出しました。勿論、鎖国により世界から後れを取ったことは事実ですが、長崎の出島を通してオランダからも世界の情報は取り入れていたのであり、明治維新に際しても,全くのゼロから国の改変が起きたわけではないのです。
その意味でも、明治維新に対する国の改変のスピードの速さが理解しえるともいえましょう。
鎖国によって世界から遅れたものの、国内は外敵からは守ることはできました。
世界に開かられた国とは、世界の情報流通がたやすくできる事であっても、移民の多大な受け入れによる治安悪化をはじめとした日本文化の改悪化は、西洋の例を招くことになります。
「多様化」と言う言葉から先進国から落ちこぼれないことを結びつけてしまうのは、短絡すぎます。


違う民族が交われば、従来その国が持つ文化は変わらざるを得ません。それが伝統と文化を保つことをどこまでも維持していけるなら共存共栄ですが、違う文化が多くなると、同じ民度ではないので、衝突が起こります。他国で永住するという事は、その国の文化・法律を尊種し受け入れて生きていくという事です。つまり、「郷に入っては郷に従え」であるのが昔からの世界規範であるにもかかわらず自分たちの文化・権利を貫こうとします。
そこには共存共栄とはかけ離れてしまい、その国の文化・経済・人の生活を壊していきます。少しの外人の入国のうちならばこのような考え方は発生しなかったのですが、大量に人手を求めるがゆえに、簡易な流入は、瞬く間に環境を変えていきます。


同じことを述べますが、多様性は、基本的には文化技術の発展に寄与するものですから必要なはずです。その意味でもうまくいけば世界平和への道に繋がります。しかし、ひとつ間違えると、つまり安易な選択をすると、上記の如く西洋の二の前になります。取り込み方が慎重であらねばならないのです。



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行政書士 井原法務事務所
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