1⃣「暑さ寒さも彼岸まで」
言わずと知れた言葉に「暑さ寒さも彼岸まで」と言うのがあります。つまり、寒さも春分の日まで、暑いのも秋分の日まで」で、季節の変わり目を言い表しています。
昭和二十三年法律第百七十八号「国民の祝日に関する法律
第二条 「国民の祝日」を次のように定める
春分の日 春分日 自然をたたえ、生物をいつくしむ。
秋分の日 秋分日 祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ。
とありますので、この両日は祝日となり、休日であります。
この両日の日の前後を合わせた7日間が「お彼岸」なわけです。と言って7日間休みという人はいないでしょうが、お寺での法要や、お墓参りに行く参拝者でにぎわいます。又、仏壇やお墓に備える仏花もいつもより値段が高くなります。しかも、大概、お天気はさほど悪くもないので、参拝者が又多いのです。
この「お彼岸」という言葉は仏教用語ですが、「彼岸(ひがん)」があの世であり、「此岸(しがん)」がこの世を差すものであることは、多くの人の知る所でしょう。
お盆の時のようなしきたりや作法もないと言いますから、それほどに重要な参拝作法はありません。しかも、同じ仏教国の中でも、お彼岸があるのは日本だけであり他国にはない行事とあります。
ただどの本にも、仏壇をきれいにしてお墓をきれいにして、お供え物や花を供え、お線香とロウソクをかざしましょうとありますから、お盆と似たことをすればいいわけです。そして何よりも大事なことは、ご先祖様に感謝して感謝の言葉を述べお祈りするという事です。
上記の法律通り、自然にも目をやる事もの述べてあります。「先祖を主体とし、この世の命あるものに感謝を述べる」ことにつきます。
2⃣ 「彼岸・此岸」の語源
どちらも仏教用語からきているのですが、「彼岸」は、生老病死と言う決められた現世の人生であり、それに対し、「此岸」は、阿弥陀様がいる生老病死などのない極楽浄土の世界であると言います。だから、命あるものはいずれ亡くなる定めにあるもののこの世の悪から逃れたら、あの世の極楽浄土の世界に行きたいと願うのです。
その時先祖たちの霊も慰め、先祖たちと出会えることを願います。
此の極楽浄土と言う世界を古いインド語では、「パーラーミッタ」と言い、それが日本に伝わって、日本語化し、「波羅密多」と漢字を宛がわれます。しかも、それを広めた時期が日本では、農家の春の種まき・秋の刈り入れ時であったため、やがてそこから「彼岸・此岸」の言葉が生まれると言うより、日本独自の先祖祭りとして、習俗化してきたと言います。
3⃣ 彼岸とお供え物
お彼岸にお供えするのは昔から牡丹餅が主流でありますが、牡丹餅も年々変化して、中の米から餅になっているものもあります。
店頭には、多くは、小豆餅や黄な粉餅が並べられています。
本来、これは、糯米に粳米(一般的な米)を混ぜて炊いたものを丸めて、その上から、小豆餡や黄な粉をまぶしたものと言われますが、現今、工場での大量生産においては、実際それを使っているでしょうか。
又、ご存知のように「牡丹餅」を「お萩」とも申しますが、色形がボタンに似ているから、「牡丹餅」、「お萩」は小豆餡をまぶす様子が萩の花に似ている所からきていることはよく知られていることです。
そこで、お萩・牡丹餅の呼び名も二つあって、夏は「夜船」冬は「北窓」と言うのがあったそうです。これは、ネット検索すると出てきますが、一般書籍にあまり載ってない話です。
「夜船」とは、牡丹餅を差す異名で、女房詞(宮廷の女官が使った隠語)と言われます。牡丹餅をつく≖餅で搗くのつく➨船が搗く➨杵でつくので杵の音がしない➨夜船が着く音もしない≖船が何時ついたかも知らないにかけている。
又、「北窓」は、冬は寒いので北側の窓は閉めている。だから月は見えない=餅つきの撞きいらずに月知らずの知らないにかけている所からきているとの事。
何処か漫才落語の世界でもあり隠語に近いですが。
そして又、「落雁」も、お供えに昔から使われます。ご存知のように、これは米や麦の粉に砂糖や水飴を混ぜて、型に入れて乾燥させものです。お茶の席にもよく出されます。形も、菊の花・蓮の花などが多いのですが、桜や扇形、果物や野菜など、餡や栗が入ったものもあります。小さいものでは親指位の小さなものもありますし、きれいな化粧ケースにも入っています。ただ、よく言われるのは、「おいしいものではない」という言葉を聞きますが、これこそ、日本伝来の和菓子の基本形と言うところでしょう。
「沈魚落雁」と言う言葉があります。これは、魚や雁も恥ずかしがって、その姿を隠すほどの美人とか絶世の美女と言う意味ですが、日本の和菓子の1つとしての落雁も、室町時代の貴族間で出されたり、その様な美しさを持って食されたのでしょう。
落雁自体口のなかでもさもさしますし、今時の食べ方としては、コーヒーや紅茶などに入れて食べると言うのがあります。貴族たちはどのように食べたのでしょうか。
落雁と言う名前は和製名詞なわけですが、室町時代に中国から伝わったと言われ、贈答にもよく用いられていきます。そして、これら干菓子も、茶道と共に発展していきます。
俳句にも、高浜虚子の
「牡丹餅に夕飯遅き彼岸かな」
と言うのがあります。
牡丹餅は春の季語であるのに対し、落雁は、秋の季語となっています。「落雁」とは、空から降りるさまで、秋の季語となるのでしょうか。
※参照:日本思想史・日本仏教史・日本仏教思想史・冠婚葬祭書・
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