著者の名前は、法律に親しんだ人なら絶対と言っていい程知っている名前ですが、果たして今の法学徒はご存知だろうかと、疑問を持ちます。
何故ならすでに、我妻先生の時代は昭和と言う時代に、民法の最高峰に鎮座されたものです。故に、よく法律を学んでない人には、他の現行の先生の名が出てくるものと思います。
さて、上記の本は、我妻先生の講演をもとにして書籍化されたとあります。
全般的には昭和の時代背景における話題となっていますし、初版が1956年発行となっているので、内容的には今時の話題性には乏しいとも思われるでしょう。
そして、この書を知る方はまたずっと少ないやに思われます。また、書籍化されることで、先生の雑記帳のような体をなしていますので、読みやすいと言えます。その中から拾ってみます
例えば「被治者根性の清算」P45
『日本国民は二千年来、上からの命令によって治められてきた。われわれの二千年の歴史は、絶対的な権威によって上から収められた歴史である。この二千年来、法律は、常にお上が自分で作って、人民に尊守をしいてきたのであった。しかも、法律は、多くの場合、お上の利益のためのもの、したがって、国民には不利益なものと、相場が決まっていた。だから、国民には、「被治者根性」が、知らず知らずの間に養われてきた。』
ですからこの国に生まれた戸籍制度と言うものは其れのひとつでもあったわけです。世界にもまれにみる崇高なこの制度は、社会の生産に、社会建設に、貢献をなすもので、国の政策を実質的なデータとして計算できることからも、実情に合った方策を成しえる重要な資料となっています。ここにも、国民の被治者根性が生きてきています。
が、やはり、命令には背く者があるので、処罰もありますが、立法を上からではなく国民が作ると言う路線であれば、自分たちで守ろうと言う意識でたちむかうであろうという意識の転換が働いたものだと言うのです。其れこそ民主主義であると。
この戸籍制度は人口動態を科学的(数的)に把握しやすいので、国のいろいろな政策にも対応し詳しい資料になります。これに似たものはがあればまだいいのですが、まったくない国では国の政策も不確かな結末を迎えやすいのは自明の理ですから、当然そのような国には発展的要素もなく、今日的経済の進展もないので、いわゆる貧富の差の拡大や貧困国家からの脱出は少しもできていないと言えるでしょう。日本も今は貧富の差が大きいと言われますが、彼らとは比較対象の部類ではありません。
これを読むにつれ、今問題になっている、我国の政策で夫婦別姓制度や国会議員の通称制度の廃止、国民よりも外国人を優遇する諸問題などとの関連を思い出しました。
その他、日本人についての在り方と言うか民族性についていろいろな観点から延べていますが、読むにつれ「ああ、そうだ、そうだ」と頷きを覚える論考が並んでいます。
これはいい本です。
法律と常識の関連を考える時、そこには人の人情と理屈とが織りなすものであるが、常に人情論との調和をもたらすこそ意味を持つ、そういう法律論を戦わせるべきだと言われるのでしょう。
➀法は画一的に適用される必要性がある(「法律における一般的確実性」)が、➁人情に適することは特殊の事情に適することである(「法律における具体的妥当性」)である。この二つを調和させる事が法の使命であると。そして、それを行うことが法律家の任務であると。
戦後日本の民社化された生活空間で、日本人のものの考え方に変遷はあるが、常に暖かみのある文化社会を形成してきました。日本人のようなそんな文化を持つ国は世界の中でも日本民族ぐらいではないかと。幾多の法律論の中でも日本人の人情が生きて居るのでしょう。
※「法律における理屈と人生」我妻栄著(日本評論社)
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