山好きの人で、この著者深田久弥の名前を知らない人はいないであろうと思います。それほどに、現在でも、「日本百名山」の著者であることから知られています。
今の登山愛好者にとってはこの本と同じく、日本の百名山を制覇することを目標としていることは、この本を通して、多くの愛好家の登山目標にもなっているのです。それは遠く外国の登山愛好家にとっても、日本に来日の目的が、登山である場合は、日本百名山であることからも如何に彼の名前が知られているかを物語っています。
外国人による日本百名山踏破の本も出ています。
さてこの本は、かつて深田久弥が出した著作の数々を、文庫本で、「深田久弥 山の文庫」集としてまとめたものです。
先ほど挙げた「日本百名山」は、タイトルのまま、日本の山の中から彼が選び出した百の山々について説明してあるのですが、その他の著作は、山の紀行文としても、たいへん読みやすく、行った山の行程や周辺の宿などと出会った人々との話などがいろいろ盛り込まれています。その点から言っても、山の説明だけで終わっていませんので、山好きでなくても、一作家の書いた本として読んでいても飽きがこないでしょう。文体が読みやすいだけでなく、山行に関する話からの延長上にある歴史なども、話として出てくるので、楽しくもありますし、登山好きでない人でも、途中で嫌気がさしてくると言うわけでもなくなっています。
又、先ほど述べたように、そもそも、登山愛好家にとっては、この百名山を制覇することは、愛好家にとってもシンボライズされてもいますので、百名山登山踏破した人にとっての1つが、踏破と言う名誉心をくすぐらせており、「百名山、踏破したぞ」と他の愛好者に自慢したくなるものなのです。
この書により日本の登山愛好者を増やしたことは事実であり、いつまでも登山の目標として語られる本であり、目標であるのです。
「ソロ登山」即ち、山登りでも、単独行が多いのは、その性質上からも、叉、危険であるのも、多いのは今も変わりません。
著者曰く「登山の楽しみの一つに、少しでも文明から離れたい気持ちがある」と言います。登山を目指す多くの人は、普段は町中に住んでいる人が多いと言うのもその理由があるのです。
そして又「登山は運動会ではない.ぞろぞろ行列をして登るのは、私の趣味に合わない。」と。
続いてこうも申します。常に危険が伴う登山については「何がまちかまえているかわからない所に、大きな魅力がある。」「登山はもともと冒険である。」と.
遭難について述べている欄では、「好きな山で死んだのだから、まあいいさ。永遠の臥床とするにはいい場所だ」と、くくります。
とは言え、私自身のことを言えば、山では死にたくありません。そこには、日本人精神が出てきます。そう「人生最後は、畳の上で死にたい」と言う日本人なら誰もが持つ感情です。
貴方はどうでしょうか。山で死んでも本望でしょうか。
山で死んではいけません。計画を立ててから我が家へ無事で戻ってくるまでが、山行の正しい姿です。一般の人にとっては、山行は旅の1つです。無事に戻ってこそ、山行記録が書けます。
多くの登山家が残した書籍は、山行記録です。無事に戻ってきたからこそ書けたすばらしい旅の記録です。
※「深田久弥 山の文庫」1~6巻 深田久弥著(朝日文庫)
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